2月2日は「主の奉献」の祝日です。聖母マリアが幼子イエスを腕に抱いてエルサレムの神殿に行き、神にささげられたことを祝います。ルカ福音書によれば、その時エルサレムにいた信仰厚いシメオンが、イエスを抱き神を讃えて言いました。「わたしはこの目であなたの救いを見ました。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」(ルカ2章30~32)
わたしたちも啓示の光であるイエスを抱いて、その光に照らされながら、神を讃えたいと思います。そして、「主の奉献」の祝日にあたって行われた聖ソフロニオ司教の説教に耳を傾けてみましょう。キリストを迎えに行きましょう。わたしたちは皆これほど熱心にキリストの神秘を敬い、讃えているのですから、心をおどらせて彼に向って進んで行きましょう。だれもこの出会いに与らない者になりませんように。だれも光を運ばない者になりませんように。
わたしたちは、ろうそくの輝きを持ち添えています。それによって、一方では万物を照らし、悪の闇を退けて、永遠の光で豊かに照らしに来られる神なるキリストの輝きを示しています。また他方では、特にわたしたち自身が、キリストと出会うために必要な魂の輝きを表すのです。神の母、全く清らかなおとめマリアがご自分の腕にまことの光を抱き運ばれ、闇に伏している人々を助けてくださったように、わたしたちもキリストの光に照らされ、皆に見える明かりを手にたずさえながら、まことの光であるキリストを迎えに急ぐのです。
確かに「光が世に来られ」ました。闇に覆われていた世を照らし、「高い所から曙の光がわたしたちを訪れ、暗闇に座している者を照らした」のです。これがわたしたちの神秘です。ですからわたしたちも明かりを手に手に進み、光を運びながら出迎えに行きます。このことによって、わたしたちを照らしてくださった光を示しながら、彼からわたしたちに射してくる光を表しているのです。ですから一緒に進みましょう。皆で神を迎えに行きましょう。「この世に来るすべての人を照らすあのまことの光」が来られたのです。兄弟たち、ですからわたしたちは皆、照らされるようにしましょう。皆、輝きを受けるようにしましょう。