私は静かに神を待つ
マリア・セシリア H・H

私の実家は浄土真宗でしたので、小学生の頃は母と一緒に週に一度はお寺にまいり、朝夕には「あなかしこ、あなかしこ」と親鸞聖人の言葉を唱えていました。

キリスト教に出会ったのは中学生の時です。

プロテスタントの方が宣教に歩いていて、賛美歌「かみともにいまして」を歌っていました。

その歌が私の心に深く残りました。

高校時代は、音楽の先生がプロテスタントで、先生に連れられて近くのプロテスタントの教会によく行っていました。

その頃の私は、仏教の錬成会に参加したり、仏教とプロテスタントを行ったり来たりしていたように思います。

大学2年の時にカトリックの教会にも行ってみようという事になり、友人2人と当時は古い旅館の建物だったカトリック松江教会を訪ねました。スペイン人のメディナ神父とドイツ人のメスネル神父が話をきいてくださり、公教要理をうける事になりました。

友人2人は迷いなく受洗しましたが、私はどうしても踏み出す事ができませんでした。

友人の1人は大学卒業後に援助マリア修道会にはいり、のちには管区長を務めています。

もう一人は、イエズス孝女会の松徳女学院の先生になって3年目に修道女になる決心をし、最終的には援助マリア修道会にはいり、現在は修練長をされています。

私は大学卒業後、掛合小学校の先生になりました。

24歳の待降節にメディナ神父に「いいかげんに受洗しなさい」と言われ無原罪の聖マリアの祝日に洗礼をうけました。

すすんでうけたわけではないので、海の中へ放りこまれて溺れさせられたような気持ちになったのを覚えています。

その後、イエズス孝女会の松徳女学院の先生をつとめたのち、大学の同級生だった夫と結婚しました。

この間、私もシスターになる事をメスネル神父に相談したところ、「あなたはノン、ノン」と言われてしまいました。

7人の子供に恵まれ、夫は結婚10年目に洗礼をうけてくれました。

大学時代にメスネル神父からドイツ語を学んでいたからだと思いますが、私より熱心な信者になりました。

私は現在85歳。

しぶしぶ洗礼をうけてから60年もの歳月がながれました。

振り返ってみますと、全く熱心ではなかった私ですが、つかずはなれず信仰の道を歩いてきました。

それは、若い時には気付かなかったけれど、何かあるたびに、その都度その都度、確かに神様のはたらきかけがあったからだと思います。

人との出会いもそのひとつだと思います。

私は見かけによらず、ぐずぐずといろんな事にこだわって思い悩む事がたくさんありました。

中学生の時に競争がはじまって。そこからくしゃくしゃ思うようになりました。

でも、今は無理に気負わず、ただ神様の語りかけ、はたらきかけを静かに待てばいいのだと思えるようになりました。

典礼聖歌184の歌詞のように。

「私は静かに神を待つ。私の救いは神からくる。神は私のちから、私ののがれ場。救いと栄えは神にある。いつも心を開き、すべてをゆだねよう。」