コロナ禍の状態が四年目に入り、ウクライナでの戦争は一年が過ぎ、トルコでの地震で沢山の方が被災されました。
悲しいニュースが遠く離れたものであったとしても、日常の生活を送っている私たち、また子どもたちの心にも大きな影を落としています。
こうして私たちは人が永遠に生きられることがないことを、見せつけられています。
哲学者梅原猛は青年時代、第二次世界大戦中、人生が短いものであると覚悟していた。
そして死を見つめる実存哲学を深めたが、やがてその考えに不満を感じる。
(実存主義には)「二羽の小鳥が、寒い夜に、互いに羽を寄せて、暖めあうような、そんな心がたりないのである。二羽の小鳥が羽を寄せ合って寝るその一瞬に、しばし、死のことを忘れてもどうしてそれが悪いのか、その哲学は、人をあまり冷たい目で見すぎている。」(梅原猛著『学問のすすめ』)
そこから彼は「闇のパトス」という論文を書き、死の哲学から解放され、不安や絶望に変えて笑いを根源的な人間の感情と考え、研究を始めます。 “不幸の乗り越え方
クラレチアン宣教会 梅﨑隆一” の続きを読む
不幸の乗り越え方
人間マリア
クラレチアン宣教会 梅﨑隆一神父
イエスは神であり人間です。
しかしイエスは神であるけれど人間ではない、逆に人間であるけど神ではないと言うときに、異端となります。
異端という言葉、英語では極端という意味があります。
極端になりすぎてイエスの人間性あるいは神性を否定するとき、人は教会の内側に留まることができず、教会の外側の人となります。
教会がこの点を強調するのは、人間が神によってどのように救われているかを説明するためです。
キリスト教が主張する救いは、イエスと同じ神の子どもになることです。
イエスが神であり人間であるように、私たち人間に聖霊が一緒に住んでくださるなら、私たちはイエスと同じ神の子どもとなります。
聖霊の働きなしに私たちは救われることはありません。
等価でない交換
協力司祭 梅﨑隆一
先史時代、交換方法の一つに縄張りの境界に交換したいものを置き、もらった者は代わりのものを置いて立ち去るというのがあったそうです。
交換を長く続ける秘訣は、相手にそのものの価値を簡単に悟らせない事だそうです。
素人考えですが、等価交換なら交換はすぐに終わってしまっただろうし、また相手に損害を与えるものでも交換は続かなくなります。
古代の人は本当に価値あるものを置いたのではないかと思う。
『どうぞのいす』という絵本は座ってもらうために作った椅子の上にものを置いたことから交換が始まります。
古代の人も様々な思いをもって、良いものをそこに置いたのではないかと思います。 “等価でない交換
協力司祭 梅﨑隆一” の続きを読む
使命を生きる
河北ブロック協力司祭 梅﨑 隆一
隠遁者のスポンサーをしていた高齢の女性が、「彼の生活が使命に忠実であるのかを知りたい」と考え、お忍びで見に行くことにしました。
彼女は隠遁者の住んでいるところに行き隠れて見ていると、隠遁者のもとに一人の若い女性がやってきた。
隠遁者はその女性に対し、「私は隠遁者で清い生活を保たなければならないから帰れ」と高圧的な態度で追い返した。
それを見た高齢の女性は、隠遁者のスポンサーをやめたそうです。
これは三年前スペインで研修をしていたときのスリランカの神父様のお説教のお話で、スポンサーを止めた理由も話してくださったのですが、私の英語力の無さが災いして、肝心の部分は分からないままです。
ただこの話が、使命への忠実とは清さを守ることではないことは分かります。 “使命を生きる
河北ブロック協力司祭 梅﨑 隆一” の続きを読む
愛を育むための孤独 枚方教会 協力司祭 梅﨑隆一
平成25年(2013)に枚方教会での役割を終えて、平成28年(2016)からは東京の修道院で生活していました。
東京への異動の理由は修道院の掃除と会計の整理でしたから、仕事が終わったらすぐにお払い箱になると思っていたのに、五年間いることになりました。
それとは別に、私個人は孤独を受け入れることを東京での生活の目的の一つにしました。
E・フロム著『愛するということ』によると、「愛」という言葉を使っていても、「愛すること」と「愛されること」の意味することは全く逆であるといいます。
「愛されたい」人は人から認められることを望んでおり、その根底には孤独に対する恐れがある。
人は孤独になると人とのつながりを求めて、人から認められているのか気になってしまう。
LINEに[既読]がついても返信がないことにイライラする原因は、そういったところにあるようです。
“愛を育むための孤独 枚方教会 協力司祭 梅﨑隆一” の続きを読む