聖母被昇天祭に思う
主任司祭 長崎壮

長崎神父写真

涼しい秋の訪れを感じるにはまだしばらく待たなければなりませんが、枚方教会では8月の一大行事である聖母被昇天祭を無事に終えることができました。

昨年は司祭団と評議員や典礼委員の方々のみが共同体を代表するかたちで捧げる少し寂しいミサでしたが、今年は参加制限をなしにして教会の兄弟姉妹とともに同じ場で祝えたことは大きな喜びです。

聖母の被昇天は洗礼によって神様と深く結ばれた私たちがこの世の旅路を終えた後に行くべきところは神様のみもとであることを示す希望のしるしです。

そして、おりしもこの祭日は日本ではお盆の時期と重なることから枚方教会では死者追悼の意向を合わせてミサを捧げる伝統があります。

私たちに信仰を伝えてくれた家族や恩人たちがマリア様の被昇天にあやかって、永遠の安息に入ることを祈るとともに、彼らが私たちに残してくれた信仰の恵みの大きさについてもう一度考え、「それを大切に引き継いで生きよう」と決意を新たにする大切な意味があります。

この祭日を祝うにあたって私の頭に去来したことは、この一年の間に信仰が篤くよく祈り教会の種々の活動で活躍された方が多く神様のみもとへと旅立っていかれたことです。 “聖母被昇天祭に思う
主任司祭 長崎壮” の
続きを読む

復活の光のうちに歩もう
主任司祭 長崎 壮

長崎神父写真

皆さん主の御復活おめでとうございます。

今年の四旬節は新型コロナの脅威に加えてウクライナ危機という新たな困難が生じ、祈らずにはいられない四旬節になりましたが、そういった危機にあってイエスの復活は私たちに希望をもたらします。

おととしから続くコロナ禍での復活徹夜祭の典礼において私の心をとらえたのは、光の祭儀の闇の中で灯されたあの復活の大ローソクでした。

闇のような時代であるからこそ復活徹夜祭で灯された復活の大ローソクを見るとき、今世界を覆っている闇を追いやる世の光イエス・キリストへの信仰と祈る心を奮い立たせるからです。

もうひとつ、光の祭儀の灯は私たちがこれからの歩みの中で何か闇を感じたならば、立ち戻る先はまことの光であるイエス・キリストであることを示しているように思えます。

イエス・キリストこそ私たちが本当の意味で生きるための〝いのちのことば〟を持っており、イエスの語りかける〝みことば〟の中にこそ私たちが生きるための知恵があります。

皆さんがもし闇を感じたならば、光である主イエスが待っておられる教会を訪ね、祈りの中で、また信者さん同士の交わりの中に光を見出していただけたらと思います。 “復活の光のうちに歩もう
主任司祭 長崎 壮” の
続きを読む

典礼と色 祭服の色の意味
長崎壮神父

カトリック教会の典礼、聖堂の装飾には私たちの目を通して訴えかける様々なしるしがあります。

そのひとつが典礼暦に応じて用いられる色です。

皆さんの目につくものは、司祭の祭服の色と祭壇上の朗読台に掛けられている朗読台カバーの色の変化でしょう。

司祭はアルバと呼ばれる白い祭服の上に典礼暦によって色が変わるカズラという祭服を着ます。

カズラの色は主に白・赤・緑・紫・黒の五色あります。

白は神聖さとともに喜びを表す色であり、降誕祭から始まる降誕節や復活祭から始まる復活節など、また聖母マリアの祝日や殉教者ではない聖人の祝日に用いられます。
“典礼と色 祭服の色の意味
長崎壮神父” の
続きを読む

福音を家に持ち帰る
主任司祭 長崎 壮

長崎神父写真

次から次へと出現する新型コロナウイルスの変異株に悩まされている私たちですが、教会の暦は四旬節を迎えようとしています。

そしてこの緊張を強いられるコロナ禍にあって、信者ひとりひとりが「ともに歩む教会」の実現を目的とするシノドス(世界代表司教会議)のための意見を求められています。

質問票の各質問は、個人で答えるのは難しいものもありますが、仲間との分かち合いを通じて実りある意見を出し合うことができるはずです。

二月の壮年会でもこの質問の分かち合いを行い、有意義な意見交換の場とすることができました。 

参加者は七十代の方々が多かったのですが、「自分の子供たちが教会から離れてしまった」という嘆きの声もありました。 “福音を家に持ち帰る
主任司祭 長崎 壮” の
続きを読む

公開ミサ再開のお知らせ

枚方教会の信徒の皆様

+主の平和

大阪府における緊急事態宣言の解除および、カトリック大阪大司教区による新型コロナウイルス感染症にともなう措置(第17次)に従い、枚方教会では10月1日(金)より、公開ミサ(信徒の参加可能)を再開いたします。

主日のミサに参加する義務は、高齢者や基礎疾患をお持ちの方だけでなく教区内のすべての方を対象に免除されておりますのでミサに参加するかどうかは各自で健康管理をしたうえでご判断ください。

10月1日以降、枚方教会では以下のミサを公開で行います。

・主日のミサ(土曜19:00、日曜9:00・11:00)

・平日のミサ:火曜日(10:00)・木曜日(10:00)・初金および祭日(10:00)

・外国語のミサ

ポルトガル語:第1主日(15:00)、 英語 第2主日(15:00)

スペイン語:第4主日(15:00)

※なお、平日7:00のミサは当面行いませんのでご注意ください。

枚方教会では聖堂および信徒会館の抗ウイルスコーティングや換気等による対策を十分とっておりますが、枚方教会でミサに参加される皆様は従来通り以下のことにお気をつけ下さい。

1.手指消毒とマスク着用

2.一定の距離を空けて座る(紙コップの置かれた席にお座りください)。

3.ミサ中の発声をなるべく控える。

カトリック枚方教会 主任司祭 長崎 壮

すべてのいのちを守るための月間祈りを生きるように
主任司祭 長崎 壮

長崎神父写真

コロナウイルスの感染拡大がなかなか収まらない困難な状況が続いていますが、日本の教会では九月一日から十月四日までを教皇様の意向を汲んで「すべてのいのちを守るための月間」とすることになっています。

コロナ禍の中に生きる私たちは肉体的な生命だけでなく霊的な生命までをも脅かされていますから、いのちの尊さ・重さを考えるのにふさわしいときです。

霊的な生命を脅かすもの、それは現役で仕事をされている方にとっては明日の見えない不安であり、家族を守るための緊張感を継続的に強いられることです。

絶えず緊張感の中にいると人の心は枯れてしまい、生きる力を失います。

もうひとつは孤独です。

創世記の人類創造の箇所からは、「人は独りで生きるのではなく人との関わり・助け合いの中で生きるもの」として創造されたというメッセージが読み取れますから、創造の目的から離れた孤独な生き方はやはり人の心を枯らしてしまいます。

司祭として寂しさを訴える人と話すことが多くなった昨今、私は神学生時代の養成担当司祭の「寂しさを感じるということは、その人が温かい心、人間らしい心をもっているからです」という言葉をよく思い出し、かみしめています。

コロナ禍において、私たちが先ず思い出したいのは孤独の中で耐えている高齢者の方々のことです。
“すべてのいのちを守るための月間祈りを生きるように
主任司祭 長崎 壮” の
続きを読む

各委員会活動の紹介と会員募集
-教会は私たちの家、皆さんの援助を必要としています-

枚方教会はこれまで多くの方の善意の協力のもと歩んできました。

聖パウロは、『コリントの教会への第一の手紙』十二章の中で教会を手や足をはじめ、様々な部分からなるひとつの体にたとえています。

枚方教会も以下に紹介するように様々な委員会や活動があり、それらによって枚方教会というひとつの体をつくっているのです。

しかしながら、近年では社会同様に枚方教会でも少子・高齢化が進んでいます。

今まで教会活動を支えてくださった方々には心より感謝の気持ちをお伝えしたいと思いますが、ここに枚方教会の明るい将来のために「自分にも何かできることは…」と思ってくださる若い世代の方(自分はまだ若いとお思いの方)の御協力をお願いする次第です。

特にここ十年以内に洗礼を受けられた方や他教会から転入して来られた方で、まだ委員会に入られていない方は、おためしとしていずれかの委員会や活動の扉を叩いて、自分に合った委員会や活動を探してみることをお勧めいたします。

信仰生活は祈りと活動の両輪によって一層豊かで実りあるものとなります。

(主任司祭  長崎壮)

“各委員会活動の紹介と会員募集
-教会は私たちの家、皆さんの援助を必要としています-” の
続きを読む

コロナ禍の四旬節を歩む
春遠からじを信じて
主任司祭 長崎壮

長崎神父写真

「冬来たりなば春遠からじ」私が高校受験を控えていた正月に先生からいただいた年賀状に書かれていた懐かしい言葉です。

私たちはいまだ新型コロナ蔓延という厳しい冬の時期にいますが、それを遠からず乗り越え、今年中にはキリストの光に満ちた新しい世界を期待しています。

新しい世界と言っても、コロナ前のもとの世界に戻るのでは意味がありません。

コロナ禍を通して私たちが神様に向かって回心し、人と自然、そして生きとし生けるものに対する温かいまなざしをもってともに生かし合う世界です。

さて、教会の暦では復活祭の準備期間である四旬節に入りました。

昨年を思い起こすと新型コロナ感染拡大の時期が四旬節の始まりと重なり、四旬節第一主日から復活節の終わりまでミサが中止となるつらい体験をしましたが、このつらい体験から多くのことを学んだ私たちは皆が互いに気を配りながらも今年はどうにか御復活の喜びをともに祝うことができる見通しが出てきたようです。

ただ、ミサの形式はまだまだ従来の方法とは程遠く、オルガンも歌もない少し寂しいミサが当分続くと思われます。

昨年に続いて四旬節の黙想会も行うことはできませんが、皆さんには主日のミサを一週間の根本に据え、個人や家族での祈り、そして少数の友人とともにできる分かち合い等を通じてこの四旬節を霊的成長の期間にしていただけることを願っています。

そのためにミサで使われる『聖書と典礼』を最大限に活用していただきたいと思います。 “コロナ禍の四旬節を歩む
春遠からじを信じて
主任司祭 長崎壮” の
続きを読む

聞いて寄り添う 特別な年の待降節に
主任司祭 長崎 壮

長崎神父写真

今年は敬老の日にフリオ神父とともに車で奈良県の飛鳥に小旅行をしてきました。

稲穂が揺れる風景に包まれ、古代日本の原風景とはこうであったのだろうと想像しながら飛鳥寺、橘寺、川原寺跡、石舞台古墳と巡りましたが、最初に訪れた飛鳥寺では日本に現存する最古の仏像である飛鳥大仏がありました。

北魏様式という中国の影響を受けているこの仏さんの表情はいかにも福々しい東大寺の大仏とはだいぶ違い、細面でより人間的なお顔です。

興味深いことは、今まで見たどの仏像も共通しているのは耳が縦に長いことです。

耳が象徴的に大きく造られたことには、「自分の苦しみを聞き、わかっていただきたい」という仏さんへの人々の素朴な願いが投影されているように感じます。

聖徳太子の十人の話を同時に聞き分けたという逸話もこういった人々の思いから生まれたのかもしれません。 “聞いて寄り添う 特別な年の待降節に
主任司祭 長崎 壮” の
続きを読む

祈り、祈られ、支え合う
主任司祭 長崎壮

長崎神父写真

枚方教会の信者の皆さん、長い自粛生活を本当にお疲れさまです。

今年は私たちキリスト信者にとって最大の祝いである復活祭をはじめ、四旬節から復活節のほぼ全ての典礼と行事が空白となる異例の事態となりました。

信者さん同士の交わりの機会も失われ、心細さを感じながらの日々であったと思います。

そのような期間を耐え忍ばれた皆様に対してお掛けしたい言葉はやはり心からの「お疲れさま」です。

自粛期間中、教会に入る信者さんからの問い合わせではミサへの参加を待ちわびていることがひしひしと伝わってきましたが、ミサの中止が始まって間もなくの頃、電話でひとりの信者さんから「神父さんは、教会に行かない私のことを怒っていませんか」と問われました。

私はその人の心の清さに打たれましたが、「あなたをはじめ、教会に来ることができない全ての信者さんに代わって祈りますから、お辛いでしょうけれど今しばらく御自宅で辛抱してください」と答えるのがやっとでした。

専門家でさえも意見が割れる新型コロナウイルスの脅威を前にして牧者として全くの無力さを感じた瞬間です。

その一方で、公開ミサ自粛の間、個人的なお祈りで訪れる信者さんと話す機会もあり、「ミサの自粛を通じて、ミサの力の大きさにあらためて気づきました」という声や「これほどよく祈った期間はありませんでした」という声を聞いた時には私も勇気づけられました。

さて、目に見えない新型コロナウイルスの蔓延が私たちに示した〝時のしるし〟から私たちは色々なメッセージを読み取ることができます。

そのひとつ、この自粛期間中に私が度々思い出したのは昨年来日された教皇フランシスコが私たちに投げかけられた「すべての命を守るため…」ということばです。

神様からいただいた賜物である命、自分の命はもちろんのこと、大切な人の命を守るためには神様からのお恵みと同時に私たちの方からも会いたい人に会うこと、平常時であればできたであろう楽しみを犠牲として捧げる協力をしなければなりませんでした。
 
いまだ予断をゆるさない状況が続く中、私たちキリスト信者は互いに祈り、祈られ、支え合いたいものです。

相手のために祈ることも大切ですが、自分も祈られていることを感じる体験は信者の集まりである教会の絆を強固にします。

健康に不安を抱え教会に来ることができない方も沢山いますが、その方々の分までよく祈りましょう。

そして来られない信者さんの側も、枚方教会には自分のためにお祈りしている兄弟姉妹がいることを信じ、キリスト信者の連帯感を感じていただきたいと思います。