毎年復活の主日の朝になると、眠い目をこすりながらベッドの中で神様に呼びかける祈りがあります。それは「この日が心地よい晴れた一日でありますように…」という祈りです。
さいわい洗礼を受けてかれこれ三十年近くこの祈りはかなえられてきましたが、私たちキリスト信者の暦の頂点である復活祭、あらたな歩みのはじまりの復活の主日の朝がさわやかな春の日でありますように・・・との願いは多くの信者さんにとっても同じでことではないかと思います。
ところで御復活の朝、マグダラのマリアに掛けられたイエス様の言葉は「おはよう」というごく平凡なことばです。普段なにげなく使っている言葉ですが、この「おはよう」という言葉は、新しい一日の始まりの挨拶としてだけでなく、「お早くからご苦労様」と相手をねぎらう温かい意味もあります。
ですから一年で最もこの「おはよう」が耳に心地よく響くのは教会の新年度が始まる復活祭の朝であり、それが温かな日差しの朝であればあるほど御復活の喜びは格別になります。
さて、復活祭を機に司祭は新しい任地に派遣されることになりますが、私はこれまで四年間過ごしてきた枚方教会で今度は主任司祭としてあらたな歩みを始めます。
聖週間の典礼と行事
受難の主日(枝の主日) 4月14日・午前11時
11時のミサの初めに、「主のエルサレム入城の記念」が行われた。枝を持って集会の家に集まった信徒が交唱を歌って司祭を迎え、フリオ神父が枝を持った信徒を祝福。ハイメ神父によるイエス入城の福音朗読の後、全員が行列を作って聖堂に入り、ホザンナを歌って司祭を迎え入れた。
聖木曜日(主の晩さん)4月18日・午後7時
キリストの聖体制定を記念するこの夕べ、ミサの中で洗足式。キリストが弟子たちの足を洗い、「仕える者」の姿を見せられたことに因むもので、ハイメ神父が12人の信徒の足を洗われた。ミサの後、ご聖体は集会の家の仮安置所に行列によって移された。

聖金曜日(主の受難) 4月19日・午後7時
キリストの受難と死を思い十字架の勝利を讃える祭儀。ヨハネ福音書の「主の受難」が朗読された後、盛式共同祈願があり、「十字架の礼拝」に移る。長崎神父が十字架を掲げて入堂し、祭壇で顕示される。司祭に続き信徒は行列を作って十字架を礼拝。最後にご聖体を拝領して終わる。

復活の主日
復活の聖なる徹夜祭 4月20日・午後7時
キリストの復活を目覚めて祈り迎える大切な祭儀。聖堂前で、復活のろうそくが新しい火で灯される。「キリストの光」。信徒もろうそくを手に行列して聖堂に入る。復活賛歌が歌われる。「ことばの典礼」では人間の歴史に働く神の業を味わう。「洗礼式」では5人が洗礼を受けられた。
復活の主日(日中のミサ) 4月21日・午前9・11時
大祝日、11時のミサは聖堂がいっぱいに。ミサ後に復活祭を祝いパーティが行われた。

復活祭祝賀パーティ(兼)司祭歓送迎会&受洗者祝賀会

Cuaresma y Semana Santa en Latinoamérica ラテンアメリカの四旬節と聖週間
Cuaresma nos hace recordar los 40 días que Jesús pasó en el desierto. Los católicos de Latinoamérica, en este tiempo, nos sentimos motivados a vivir más cerca de Cristo, y a prepararnos para la gran fiesta de Pascua. Para ello se tiene la costumbre de acercarse a la confesión, dolidos de haber ofendido a Dios, estando arrepentidos. Muchas personas ayunan los viernes de cuaresma y se respeta abstenerse de comer carnes rojas. Sabemos que la obligación del ayuno es el miércoles de ceniza y el viernes santo, y esto a partir de los 16 años hasta los 60. Durante la cuaresma, hay lugares donde se tiene el Viacrucis viviente, representando las 14 estaciones.
Como en todo el mundo católico, la Semana Santa empieza el Domingo de Ramos. En ciertos lugares se escenifica solemnemente la entrada triunfal de Jesús a la ciudad santa de Jerusalén.
El Jueves Santo, después de la Misa de la Ultima Cena, celebrada a las 3 de la tarde, en México hay costumbre de visitar las Iglesias y ver los altares adornados con motivo de la reserva de la Santísima Eucaristía. Con este motivo se reciben algunos panes benditos, que nos hacen recordar este día. En Perú se acostumbra recorrer 14 Iglesias, abiertas hasta la madrugada, conmemorando las 14 estaciones del Viacrucis, que esta noche empieza con la agonía de Jesús en el huerto de los Olivos.
El Viernes Santo, en Bolivia se realiza el Viacrucis, escenificado por personas entrenadas. El guiso típico de cuaresma es hecho de pescado. En Perú es básicamente bacalao. Finalmente, es de notar que estos tres días santos, jueves, viernes y sábado son días feriados en varios de nuestros países.
神の子どもたちはみな踊る ーカトリック枚方教会 K・T ー 河北朝祷会より (2019.4.11 第220回)
村上春樹にこのような題名の短編小説があり、内容は期待したものとは違いましたが、ちょっと考えさせられました。
「神の子」とは、新約聖書では先ず「イエス・キリスト」、そして洗礼を受けた私たち信者と考えられるでしょう。ガラテア書3章26節に「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです」とありますし、ヨハネ第1の手紙3章1節には、「御父がどれほど私たちを愛して下さるか考えなさい。それは私たちが神の子と呼ばれるほどです」とあります。
私が神の子? この小説の主人公は、新興宗教の信者らしい母親から「あなたは神の子」と育てられ、「こんな私が神の子であるはずがない」と悩みます。カトリック信者ながらイエスの教えが中々守れない私も、「これで神の子なのだろうか」と悩みました。
The Philippine – English Community(フィリピンー英語共同体) 2019年4月
Philippine-English Community
Hirakata Church Filipino Community
As of January 13, new officers were elected, year 2019~2022.
Lenten season starts on March 6, Ash Wednesday,it is a christian holy day of prayers, fasting and repentance.It takes place 40 days until Easter Sunday.
March 10, before the mass, a holy retreat or recollection was headed by Sister Clare and after that a confession.The purpose of spiritual retreat refreshes and revitalizes, gives the opportunity for more time spent in prayer and contemplation.
四旬節の黙想会
3月17日(日)、枚方教会出身で現在は東京にて活躍中の梅﨑神父様を迎えて、四旬節の黙想会が行われた。神父様は11時のミサの司式をされると共に、黙想会の前段としての説教をされた。
午後1時からは講話があり、親しみやすいお話に、信徒は和やかに楽しく聞き入った。
幼少のころから青年期までを枚方教会で過ごされた神父様は、その当時の日々の思い出と、出会った神父様方による心の成長、そして神父となってからの体験が、ご自分にどんな影響をもたらしたかなどについてユーモアたっぷりに話された。そして「神様に救われている日々」であり「神様は人間が好きだ」と強調された。
“四旬節の黙想会” の続きを読む「わたしは福音を 恥としない」 ー日本イエス・キリスト教団 明野キリスト教会 牧師 大頭眞一 氏ー 河北朝祷会より (2019.3.14 第219回)
レント、主イエスの十字架のみ跡をたどる旅のさ中、ごいっしょに祈るときをうれしく思っています。カトリック枚方教会の会報にあった「壊されてくださるマリアさま」の印象は強烈で、著書にも引用させていただきました。私たちの罪のために壊されてくださったキリストの血は、私たちをひとつに結び合わせる血でもあります。
東日本大震災から8回目の3月11日がやって来て、過ぎて行きました。2月末、私は京都の牧師仲間といっしょに、東北の諸教会を訪問しました。大震災後四回目です。
“「わたしは福音を 恥としない」 ー日本イエス・キリスト教団 明野キリスト教会 牧師 大頭眞一 氏ー 河北朝祷会より (2019.3.14 第219回)” の続きを読むレジオ・マリエについて ーカトリック枚方教会 M.Sさんー 河北朝祷会より (2019.2.14 第218回)
レジオ・マリエは、1925年11月アイルランド人のフランク・ダフ氏が創立。「マリアの軍隊」を意味します。聖母マリアと共に祈り、謙遜に人々への奉仕に努めるマリアの役割に、熱心に協力したいと願う愛に溢れた共同体です。
レジオの入会希望者には「テッセラ」が渡され、レジオの活動に参加しながら、少なくとも3ヶ月の「試みの期間」を過ごします。この期間が終了すると、レジオ・マリエへの宣誓式が行われますが、会員になるのは本人の意志であり、適格者であると認められた時に活動員となります。
テッセラは世界中のレジオ会員が持つ共通の冊子です。表紙は、中央に蛇を踏み付けている無原罪の聖母が描かれ、枠には、ラテン語で、創世記
3章15節「わたしは、お前と女との間に、またお前の子孫との間に敵意を置く」、ヨハネ福音書19章26節「婦人よ、ご覧なさい。あなたの子です」、27節「見なさい。あなたの母です」の言葉が書かれています。誘惑と戦う軍勢の女王で、全ての人の母である聖マリアの姿は、活動する会員に勇気と喜びを与えています。
集会は、小さな敷物の上に設けられた仮祭壇を囲み、テッセラを使用して行います。聖霊への祈り、ロザリオ5連の祈り、「カテーナ・レジオニース」の祈りの後、前回集会記録報告、会計報告、出欠点呼があり、指導司祭の霊的指導「アロクチオ」と続き、終了の祈りの後、司祭から祝福を頂いて閉会します。
カテーナ・レジオニースは、「レジオの鎖」と訳されます。全てのレジオ会員の日常生活とレジオを繋ぐ鎖であり、マリアと繋がる鎖でもありますから、会員はカテーナを毎日唱えなければなりません。
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