一月一日の説教から
主任司祭 竹延真治

巻頭言に書くことが思いつかないうちに本日原稿締め切り日を迎えてしまった。

ふと、先日、ホームレスらしき人が道路わきの自動販売機の釣銭口に手を入れていたことを思い出す。

そうだ、返却口に置き忘れられたコインのように、パソコンを探せば何か未発表の原稿が見つかるかもしれない、と期待して「原稿」という名前のフォルダーを開いた。

ところが、世の中はそんなに甘くはない。未発表の原稿などは一切発見できなかったのだ。 

それもそのはず、締切日に追われて依頼された原稿を送ることはあっても、「何か無性に心に浮かぶことを文章にしてみたい!」などと思ったことは一度もないのだから、余分の原稿がパソコンに残っているはずがない。

その代わりに『グァダルペ』に説教の要約欄があったころ、わたしがある年の一月一日に行った説教が残っていた。編集委員がどなただったか忘れたがよく短い文章でまとめてくれたものだと思う。 “一月一日の説教から
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夏が来れば思い出す♪
主任司祭 竹延真治

「遥かな尾瀬」ではなく、近くのレジデンスでのことを。

東京の神学校に入学した最初の夏休み、わたしはクラレチアン会が担当する教会ではなく、枚方のクラレチアン・レジデンスを帰省先に選んだ。

デ・グランデス神父というアルゼンチン出身の巨体の老神父が一人いる修道院なら、小教区とちがって信者さんは誰もいないので、そこでゆっくり勉強ができるぞ、と思ったからだ。

神学校で使っている教科書や参考図書を段ボールに詰めて東京からレジデンスに送った。

レジデンスに荷物が届き、玄関先でそれを開いていると、デ・グランデス神父が近づいてきて言った。

「竹延、おまえはアホか。夏休みに勉強しようと思てるのか。夏休みは休む時じゃ。勉強なんかするな!」と。 “夏が来れば思い出す♪
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わたしのふるさと 竹延真治神父 

表題のテーマで原稿依頼を受けたものの、締切日を迎えて思考がストップしてしまいました。

以前、「河内のクリスマス」という題で大阪刑務所の受刑者向けに書いた文章をそのまま再掲させていただきます。

わたしの実家は河内平野のど真ん中で養豚業とアヒル屋を営んでいた。

大雨になると家も豚舎も水に浸かるような環境や、粗野な河内弁を話す人々の中にあって、わたしの母とその子供たちだけがクリスチャンであることにずいぶんと違和感を持って育ってきた。

クリスマスというのはテレビドラマに出てくるようなもっと上品でハイカラな人々が祝うものだというイメージがあった。

「豚やアヒル(合鴨)がそばにいたり、住む家がすぐ水に浸かったり、河内弁が飛び交うようなところにはキリスト教は向かないのだ。河内にはクリスマスは似合わない!」とわたしは思い込んでいた。

ところが、十数年前にある牧師さんの講演を聴いて、河内地方がキリシタンの聖地であることを知りびっくり仰天した。 “わたしのふるさと 竹延真治神父 ” の続きを読む

更生の道
主任司祭 竹延真治

まだ枚方レジデンスに住んでいたころ、クラレチアン会の会議に参加される外国人の神父様を車で関西空港まで出迎えにいったことがある。

夜の飛行機で関空に到着したその神父様は、握手だけでなくハグまでし、親愛の情を示してくれた。

助手席に乗った彼は、緊張するわたしを和ませるかのように英語で話しかけてきたが、語学が不得手なわたしは早くこのお客様をレジデンスに送り届け、自室で一人になりたいとアクセルを踏んで帰路を急いだ。

途中、頭上で何かが赤く光ったことは覚えている。

そのすぐ後、転勤があり、今市教会に引っ越した。

まもなく、これこれのナンバーの車を何月何日の何時頃運転していた者は旭警察署に出頭するようにとの通知が旭区にあるクラレチアン会本部に届いた。

指定日時に交通課に行ったら、おまわりさんがわたしの顔と車のナンバーが写った写真を見せてくれた。

阪神高速を52キロオーバーで走行したとのことで赤切符を切られ、罰金八万円の略式命令と三カ月間の免許停止処分が言い渡された。 “更生の道
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