キリストと結ばれ古傷に別れを告げよう
ー新年を迎えて前向きに生きるためにー
クラレチアン宣教会フリオ・トレス神父

〈いよいよ本格的な寒さとなってきました。枚方教会の皆さん、お元気でしょうか。新しい年も、この私は心を新たにして一人ひとりに寄り添い、温かい心で関わっていきます。どうぞよろしくお願い致します。〉

新年を迎えたこの頃、病気であっても、不自由な体になっても、どんな時でも、前向きに生きるためには、最も大切なことが何かと考え、神学者ヘンリ・ナウエンの智恵を借りて、皆さんと一緒にいろいろと振り返ってみたいと思います。(参照:「今日のパン、明日の糧」、BreadfortheJourneyヘンリ・ナウエン1997年)

先ず、私たちが、心を新たにするのに最も難しいことの一つは、やはり過去についた心の傷を癒すことだと思います。

「あなたが、私や家族、先祖、友人にしたことは、絶対忘れません。絶対許しません。あなたは、いつか後悔するに違いありません。」と言ったり、少なくとも心に思ったりするものです。

時には、私たちの記憶は何十年も、場合によっては、何世紀もの年を経てまた復讐を呼び続けてしまいます。

過ちについて、ある人を責め続けているうちに、かたくなな心の壁が築かれてしまうことがよくあります。

けれども、使徒パウロのコリントの教会への手紙では、こう語られています。

“キリストと結ばれ古傷に別れを告げよう
ー新年を迎えて前向きに生きるためにー
クラレチアン宣教会フリオ・トレス神父” の
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いつも苦しみから逃げていると、 幸せからも遠ざかる フリオ神父

梅雨の晴れ間からは、真夏を輝かせる太陽が続いていますが、枚方教会の皆さん、お元気ですか。気温の上昇とともに、水分補給と自己管理を行い、健やかに過ごされるように願っております。


さて、私は、8年ぶりに『グアダルペ』の巻頭言の担当に当たって、今回は、「いつも苦しみから逃げていると、幸せからも遠ざかる」という日本の諺について、少し振り返ってみたいと思います。


では、なぜこの諺を選んだのか。どうして聖書の個所ではなく、仏教の言葉を引用させてもらうのかと言いますと、実は、何年か前、お寺の看板に書いてあり、読んでみたら、深く心に響いたのです。


「いつも苦しみから逃げる」というのは、正直、人はみな、よくあることです。人はみな、当然、何よりもまず、幸せの方を選び、できるだけ、それに向けて、懸命に勉強したり、人と関わったり、財産を集めようとしたりします。

「苦しみにする」なんてとんでもない。自分の計画の中、そういったものって、ありえないことでしょう。もちろん、それよりも、利益、気楽、安らぎ、幸せ、楽しみの方を選び、頑張って生きています。

ですから、人は、基本的に、苦しみから逃げるという傾きを認めざるを得ません。


しかし、仏教においても、キリスト教においても、いつも苦しみから逃げていると、何だか、本当の幸せ、真のいのち(復活)から離れ、遠ざかることを語っているのに気付きました。


マタイによる福音も、山上の垂訓でのイエス様が、「悲しむ人々は、幸いである」とおっしゃっています。宗教観が全く違い、不思議に思いますが、苦しみ、悲しみの中を過ごすとともに、人の目に見えないけれど、恵み、祝福、真理、学び、成長、深い幸せにつながるものがあるということです。


毎日、我々キリスト者は、キリストの過ぎ越しを思い起こすミサを行っています。「いつも苦しみから逃げていると、幸せからも遠ざかる」ということわざを心に留め、キリストの苦しみと私たちの苦しみを共にして、逃げるよりは、勇気を出して、地上でも主キリストが約束された本当の幸せに向かって、日々、信仰生活をおくることができますように努めていきましょう。