“生まれて成長を続ける誰の先にも「死」が待っている人生”。
まるで死刑の宣告を受けてこの世に生れ落ちて来るような人生の先に立ちはだかる、この不可解な死の意味。
その死を先送りして、目先の楽しみ、豊かさに慣れ親しんだ現代人に「死」以上に嫌われているのが「老年期」と言われる昨今。
私は15年間、介護に関わった母を99歳で見送る機会を得、決して長寿を善しとしなかった母の「長寿の意味」に気づかされました。
不肖の息子である私が「真人間になるための教材」となるために、その身を神に奉げた最後の「奉仕」だと。以後、母に手を合わせる気持ちになりました。
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木を捜して登る
ーザアカイ、急いで降りてきなさいー
助任司祭 昌川 信雄
この度、38年ぶりの教皇の日本訪問は、信仰者ばかりでなくメディアも巻き込んでの大行事でした。
『教皇のお通り』を一目見たさに、長崎へ、広島へ、東京へと先回りして木に登った「ザアカイ」たちには、真に恵みの場となったことでしょう。
一か月後には、教皇に代わって、主ご自身が全世界の一人ひとりを訪問される『降誕祭』です!
世界はこぞって「イエスのお通り」を一目見よう(?)と、それぞれの木に登る準備でしょうか。
街と商店はイルミネーションの、若者たちは恋人への、大人たちはパーティの、両親たちは子どもへのプレゼントの準備に心はずませるようですが、私たち信仰者は「待降節」の木に登るための準備なのです!
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変容のとき 助任司祭 昌川 信雄
パンとブドウ酒が祭壇上に奉納されるたびに心に浮かべる『兄弟たち』がいます。
私たちが酷暑を避け活動を中断し夏休みをとっていた間にも、ひと時もベッドから離れられずに病と闘っておられた方々です。
その方々にご聖体を捧持するとき一度は耳元でこの話をするようにしています。
「ミサに与れず寂しいあなたのところに、イエス様が毎日ミサをたてに
来られますよ。
司祭が教会でミサを奉げる毎に、イエス様が来られ、あなたのベッドを祭壇にし、あなたの体をパンとブドウ酒の「奉納物」として聖変化し、あなたを尊いものに『変容』なさいます。
ありったけのご馳走 助任司祭 昌川 信雄
“天上の御馳走は、大皿の『めざし一匹』で満足! ”
地上ではそうはいかないので、イエス様は天に帰られたとき、私たちの地上のテーブルに、ありったけの御馳走を盛ってくださいました。
それが、主の昇天に続く祭日尽くしの典礼です。
6月の祭日
2日 主の昇天
9日 聖霊降臨の主日
16日 三位一体の主日
23日 キリストの聖体
24日 洗礼者聖ヨハネの誕生
28日 イエスのみ心
29日 聖ペトロ・聖パウロ使徒
楽園を閉ざされた人類が楽園に戻る道は、神にしか造れなかったので、父は子を世に送り、十字架(体を捨て心で造る楽園への道)を歩ませて、私たちの罪による死(自我に住む悪霊の支配)に対する完全な勝利(復活)をもって人類が楽園に戻る道を開かれたのです。
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