祈りとお話  梅﨑隆一神父

「あなたがたは異邦人のようにくどくどと述べてはならない。

異邦人は言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。」(マタイ6・7)。

異邦人は窮地に立たされたときに、様々な神々の名前を唱え、本当の神様の名前を唱えることができたときに願いが叶うと考えていた。

ですから本当の名前を唱えることができ、自分の願いが叶った時には、その名前を誰にも話さずに自分だけの秘密にしたそうです。

ヨナ書の中でもヨナが乗っていた船が嵐に遭った時、ヨナは船底で寝ていたのですが、船長がヨナのところにやってきて「寝ているとは何事か。さあ、起きてあなたの神を呼べ、神が気づいて助けてくれるかもしれない」(ヨナ1・6)と言っています。

そして名前を呼ばれた神は出て行かなければならないと考えられていた。ですから異邦人にとって祈りとは神々を支配する方法であったと言えます。

教会の子どもたちに「お祈りって何?」と質問したら、判を押したように「神様とのお話」という答えがかえってきます。
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一月一日の説教から
主任司祭 竹延真治

巻頭言に書くことが思いつかないうちに本日原稿締め切り日を迎えてしまった。

ふと、先日、ホームレスらしき人が道路わきの自動販売機の釣銭口に手を入れていたことを思い出す。

そうだ、返却口に置き忘れられたコインのように、パソコンを探せば何か未発表の原稿が見つかるかもしれない、と期待して「原稿」という名前のフォルダーを開いた。

ところが、世の中はそんなに甘くはない。未発表の原稿などは一切発見できなかったのだ。 

それもそのはず、締切日に追われて依頼された原稿を送ることはあっても、「何か無性に心に浮かぶことを文章にしてみたい!」などと思ったことは一度もないのだから、余分の原稿がパソコンに残っているはずがない。

その代わりに『グァダルペ』に説教の要約欄があったころ、わたしがある年の一月一日に行った説教が残っていた。編集委員がどなただったか忘れたがよく短い文章でまとめてくれたものだと思う。 “一月一日の説教から
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メキシコ ザベリオ宣教会 イルヴィン神父

枚方教会の皆様、初めまして。わたしはザベリオ宣教会のイルヴィン・グティエレスと申します。

1988年9月13日にメキシコ共和国グアナファト州レオン市で生まれました。

わたしが長男で、弟が2人います。次男はイヴァン、末っ子はイサック。

イヴァンはエンジニアで、近くにあるアグアスカリエンテス市で働いています。

イサックの方は設計士で、レオン市に暮らしています。

両親ともにみんなが仲良くて、本当に良い家族に恵まれて感謝しています。

わたしは小さい頃からミサに与るのが大好きでした。

なぜかと言うと、主任司祭は信者さん一人ひとりを温かく迎え、とても親切な神父でした。

そのような神父様に憧れて神学校に入ろうと考え始めました。 “メキシコ ザベリオ宣教会 イルヴィン神父” の続きを読む

原罪から解かれたけれど
梅﨑隆一神父

教会の教えでは、人は洗礼の後、原罪から解かれるとあります。

ですからキリスト者は人生のある時からマリア様のように、無原罪になります。

それなのに、教会の中に罪が散見されるのは何故なのか。

原罪の原因はアダムとエバが、「(善悪の知識の木の実を)取って食べるな」という神様の声ではなく、「食べれば神のようになれる」という、この世で作られた最も賢い存在の声に聴き従ったこと。

また神の言葉をないがしろにするという罪を犯したのに、その罪を認めなかったためです。

こうして原罪がアダムとエバから生まれた全ての人に影響を与えています。 “原罪から解かれたけれど
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夏が来れば思い出す♪
主任司祭 竹延真治

「遥かな尾瀬」ではなく、近くのレジデンスでのことを。

東京の神学校に入学した最初の夏休み、わたしはクラレチアン会が担当する教会ではなく、枚方のクラレチアン・レジデンスを帰省先に選んだ。

デ・グランデス神父というアルゼンチン出身の巨体の老神父が一人いる修道院なら、小教区とちがって信者さんは誰もいないので、そこでゆっくり勉強ができるぞ、と思ったからだ。

神学校で使っている教科書や参考図書を段ボールに詰めて東京からレジデンスに送った。

レジデンスに荷物が届き、玄関先でそれを開いていると、デ・グランデス神父が近づいてきて言った。

「竹延、おまえはアホか。夏休みに勉強しようと思てるのか。夏休みは休む時じゃ。勉強なんかするな!」と。 “夏が来れば思い出す♪
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永遠の息吹 梅﨑隆一神父

司祭になったら、少なくとも毎週日曜日は子どもと遊び、一日が終わるという人生を過ごす予定でした。

しかし現在、数か月間子どもと関われないのが当たり前の日々を過ごしています。

毎週日曜日、少なくともミサの中で「どんな人も神に似せて造られ、一人ひとりは価値ある存在です」と教えてもらえるのに、月曜日から土曜日の間「沢山の人が羨むような価値を手に入れている者だけが価値ある人間である」と教えられる。

子どもの頃からそのようなジレンマを感じていたから、少なくとも週に一回、教会が本来の人間らしさを取り戻せる場所になればと思っています。

そして子どもたちは、大人に囲まれて、お友達と楽しく過ごせるだけで良いのではないかと思います。
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わたしのふるさと 竹延真治神父 

表題のテーマで原稿依頼を受けたものの、締切日を迎えて思考がストップしてしまいました。

以前、「河内のクリスマス」という題で大阪刑務所の受刑者向けに書いた文章をそのまま再掲させていただきます。

わたしの実家は河内平野のど真ん中で養豚業とアヒル屋を営んでいた。

大雨になると家も豚舎も水に浸かるような環境や、粗野な河内弁を話す人々の中にあって、わたしの母とその子供たちだけがクリスチャンであることにずいぶんと違和感を持って育ってきた。

クリスマスというのはテレビドラマに出てくるようなもっと上品でハイカラな人々が祝うものだというイメージがあった。

「豚やアヒル(合鴨)がそばにいたり、住む家がすぐ水に浸かったり、河内弁が飛び交うようなところにはキリスト教は向かないのだ。河内にはクリスマスは似合わない!」とわたしは思い込んでいた。

ところが、十数年前にある牧師さんの講演を聴いて、河内地方がキリシタンの聖地であることを知りびっくり仰天した。 “わたしのふるさと 竹延真治神父 ” の続きを読む

更生の道
主任司祭 竹延真治

まだ枚方レジデンスに住んでいたころ、クラレチアン会の会議に参加される外国人の神父様を車で関西空港まで出迎えにいったことがある。

夜の飛行機で関空に到着したその神父様は、握手だけでなくハグまでし、親愛の情を示してくれた。

助手席に乗った彼は、緊張するわたしを和ませるかのように英語で話しかけてきたが、語学が不得手なわたしは早くこのお客様をレジデンスに送り届け、自室で一人になりたいとアクセルを踏んで帰路を急いだ。

途中、頭上で何かが赤く光ったことは覚えている。

そのすぐ後、転勤があり、今市教会に引っ越した。

まもなく、これこれのナンバーの車を何月何日の何時頃運転していた者は旭警察署に出頭するようにとの通知が旭区にあるクラレチアン会本部に届いた。

指定日時に交通課に行ったら、おまわりさんがわたしの顔と車のナンバーが写った写真を見せてくれた。

阪神高速を52キロオーバーで走行したとのことで赤切符を切られ、罰金八万円の略式命令と三カ月間の免許停止処分が言い渡された。 “更生の道
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長崎神父しろきたBへ

4月16日(日)のミサを最後に長崎神父が枚方教会からしろきたBに異動されました。

ミサ後に花束と記念品が贈呈され、赤川さんからお礼の言葉が述べられて全員の拍手で感謝の気持ちを伝えました。

不幸の乗り越え方
クラレチアン宣教会 梅﨑隆一

コロナ禍の状態が四年目に入り、ウクライナでの戦争は一年が過ぎ、トルコでの地震で沢山の方が被災されました。

悲しいニュースが遠く離れたものであったとしても、日常の生活を送っている私たち、また子どもたちの心にも大きな影を落としています。

こうして私たちは人が永遠に生きられることがないことを、見せつけられています。

哲学者梅原猛は青年時代、第二次世界大戦中、人生が短いものであると覚悟していた。

そして死を見つめる実存哲学を深めたが、やがてその考えに不満を感じる。

(実存主義には)「二羽の小鳥が、寒い夜に、互いに羽を寄せて、暖めあうような、そんな心がたりないのである。二羽の小鳥が羽を寄せ合って寝るその一瞬に、しばし、死のことを忘れてもどうしてそれが悪いのか、その哲学は、人をあまり冷たい目で見すぎている。」(梅原猛著『学問のすすめ』)

そこから彼は「闇のパトス」という論文を書き、死の哲学から解放され、不安や絶望に変えて笑いを根源的な人間の感情と考え、研究を始めます。 “不幸の乗り越え方
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