「あわれみ (ルカ19・5-6)」 カトリック枚方教会 司祭 昌川 信雄 河北朝祷会より (2019.11.14 第227回)

私が『あわれみ』の意味に気づきをもらったのは、あるおばあさんからでした。

彼女は、危篤の夫と共に緊急洗礼を受けた人でした。 

夫の死後、家を訪問したとき、おばあさんは遺影に向かって「おじいちゃん、ごめんな、堪忍な、ゆるしてな・・」と手をすり合わせていました。

私が「おばあちゃん心配しないでね。おじいちゃんは今天国で幸せ。おばあちゃんも天国に行ったら二人して幸せですから!」と言いましたら彼女は「なんで私みたいなもんが天国にいけるねん!」と振り返り、その後驚くべき言葉を口にしたのです。

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「言葉は肉体となり」 大阪正教会 神父 松島 雄一  河北朝祷会より (2019.10.10 第226回)

正教会が礼拝で用いる福音書は美しくレリーフが施された「金貼り」です。

「みことば」を伝えるのに、そんなご大層な装飾など不要とおっしゃる方もいるかも知れませんね。

確かに伝道とは「みことば」の伝達です。

しかし、それは聖書に書かれているテクストとその意味を正確に伝えるということではありません。

みことばを福音=「喜ばしい報せ」として、すなわち「父のみもとに行くための」唯一の「道」として、その道の行く手を照らしだす「真理」の光として、また正教会の復活祭賛歌を借りれば、神の御子がその「死を以て死を滅ぼし」て「墓にある者」に与えた「いのち」として、人々に伝えようとするなら、みことばは単なる言葉にとどまっていることはできません。

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神の作品として生きる  -関西牧会塾ディレクター 牧師 豊田 信之 ー 河北朝祷会より (2019.7.11 第224回)

私たちは神の「作品」であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。(エフェソ書2章10節)

キリスト者は自らが「神の最高傑作品」であることを知らなければなりません。ミケランジェロがダビデ像を完成させたとき、大理石のなかに閉じ込められていたダビデを取り出したと表現したそうです。唯一無二の芸術家である神様は、私たちがどのような状態の中にあっても、自分で自分を愛せない、赦せない、いや、自分を憎んでいたとしても、キリストの内にある私たちの「真の自己」を見つめていてくださり、閉じ込められている「神の最高傑作品の私」を取り出してくださるのです。

私の父は私生児として生まれました。小学生の頃、「おばちゃん」と呼んでいた人が実の母だと知らされ、出自の事実を告げられたのです。その瞬間、父は自分なんか生まれてくるべきではなかったとの深い拒絶感に打ちのめされました。

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聖霊を信じます  ーカトリック枚方教会信徒 K・Pー 河北朝祷会より (2019.6.13 第222回)

聖書の専門家は、神の啓示の歴史を三つの段階に分けます。


第一の段階はアダムから洗礼者ヨハネまでイスラエルの時代、約束の時であり、父の時代とも呼ばれます。


第二の段階では、神の子は人間となり、神が誰であるかを示して、救いをもたらします。それはイエスの時代、救いの時代です。日曜日に私達が祝ったペンテコステ・聖霊降臨から世の終わりまで。


第三の段階であるこの時代は教会の時代、聖霊の時代なのです。


聖書によれば、神は霊であり、霊はヘブライ語で、「ルーアッハ」と言って、息吹、ひと吹き、風の意味です。霊は目に見えないけれど力があります。それは、我々の生命にとって呼吸するように、重要です。風の様に、嵐の様なエネルギーをもっています。暖かい光線が太陽から由来するように、聖霊は、神である御父と御子から出て、父と子と同じ様に神です。いのちの与え主であって、人の中で働く神自身です。


イスラエルで、士師や預言者や王達は神に托された任務を果たす為に、一時的に霊の力を授かります。イザヤは、メシアの上に「主の霊が留まる。知恵と識別の霊、思慮と勇気の霊、主を知り、畏れ敬う霊」と預言します(イザヤ⒒・2)。


聖霊の働きによって、母マリアはイエスを宿します。イエスはいつも聖霊と共に生き、霊の力によって、宣教活動をし、悪霊を追い払い、病人を癒して、奇跡を行います。


イエスは、弱気な弟子達を強める為に、別の弁護者、慰める方、助ける方を送ることを約束します。その方は弟子達にイエスの言葉を理解させて、イエスのいのち・精神・原動力を与えます。


宗教的な次元では、私達はペンテコステの日に始まった聖霊の時代、聖霊元号を生きています。ペンテコステの日、恐怖に襲われた弟子達は霊的な熱意で一杯になって、イエスの事を勇敢に証言しました。心から心へ話したペトロの言葉は皆に理解されて、聞いた人々の心に届きました。その日、三千人ほど信仰を抱き、洗礼を受け、イエス・キリストの内の共同体となりました。


私達は使徒信条で「わたしは神の聖霊を信じます」と唱える。


聖霊は、私達一人一人に、良心を通して語り掛け、使徒の証言と教え、我が共同体に創造性とダイナミズムを与えて、行動するように促して下さいます。

先月、感動させるいくつかの便りを聞きました。


5月7日に、知的ハンデイをもつラルシュ共同体の創立者ジャン・バニエはパリで亡くなりました。知的ハンディがある人と一緒に長年暮らして、与えたものよりも受けたものの方が多いと言い、各々の人の偉大さを強調しました。


18日に、自分の父を殺した人達を心から赦したグアダルーペ・オルティスはマドリードで列福されました。


19日に、中央アフリカ共和国でイネス・サンチョは殺されました。危ない所へ出ていくなとの忠告に応じないで、裁縫を教え、困っている女性達を見捨てない為、殉教の危険を選んだ人です。


これらの素晴らしい人達は、自分の活動を通して、神の霊が働いた事を見せています。


彼らが聖霊の導きに素直に従った様に、私達も聖霊のささやきを聞いて、聖霊に動かされて行動すれば、幸せでしょう。いつも回心の態度を持ち、イエスの福音を見直して、マリアと共に、聖霊が豊かに注がれるように切に願いましょう。

あなたがたに平和があるように ー日本キリスト改革派 男山教会 牧師 宮武輝彦ー 河北朝祷会より (2019.5.9 第221回)

〔ヨハネによる福音書20章19~23節〕

先日、5月6日、わたしの母教会の(改革派)広島教会で、新会堂の献堂式があり、わたしも出席をゆるされました。その途中、4月にリニューアルされた広島平和記念資料館に立ち寄りました。

1981年2月25日、教皇ヨハネ・パウロ2世が広島を訪問されたことを思い起こします。当時在学(中学3年生)していた広島学院では、通常授業は休みになって、全校総出で平和公園へ行きました。そこで、「戦争は死です。戦争は人間の仕業です」との日本語のメッセージを聞いたことをよく覚えています。それは、わたしにとって、非常に強烈なメッセージで、心に残り続けています。

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神の子どもたちはみな踊る   ーカトリック枚方教会 K・T ー  河北朝祷会より (2019.4.11 第220回)

村上春樹にこのような題名の短編小説があり、内容は期待したものとは違いましたが、ちょっと考えさせられました。

「神の子」とは、新約聖書では先ず「イエス・キリスト」、そして洗礼を受けた私たち信者と考えられるでしょう。ガラテア書3章26節に「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです」とありますし、ヨハネ第1の手紙3章1節には、「御父がどれほど私たちを愛して下さるか考えなさい。それは私たちが神の子と呼ばれるほどです」とあります。

私が神の子? この小説の主人公は、新興宗教の信者らしい母親から「あなたは神の子」と育てられ、「こんな私が神の子であるはずがない」と悩みます。カトリック信者ながらイエスの教えが中々守れない私も、「これで神の子なのだろうか」と悩みました。

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「わたしは福音を 恥としない」 ー日本イエス・キリスト教団 明野キリスト教会  牧師 大頭眞一 氏ー  河北朝祷会より (2019.3.14 第219回)

レント、主イエスの十字架のみ跡をたどる旅のさ中、ごいっしょに祈るときをうれしく思っています。カトリック枚方教会の会報にあった「壊されてくださるマリアさま」の印象は強烈で、著書にも引用させていただきました。私たちの罪のために壊されてくださったキリストの血は、私たちをひとつに結び合わせる血でもあります。

東日本大震災から8回目の3月11日がやって来て、過ぎて行きました。2月末、私は京都の牧師仲間といっしょに、東北の諸教会を訪問しました。大震災後四回目です。

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レジオ・マリエについて  ーカトリック枚方教会  M.Sさんー  河北朝祷会より (2019.2.14 第218回)

レジオ・マリエは、1925年11月アイルランド人のフランク・ダフ氏が創立。「マリアの軍隊」を意味します。聖母マリアと共に祈り、謙遜に人々への奉仕に努めるマリアの役割に、熱心に協力したいと願う愛に溢れた共同体です。

レジオの入会希望者には「テッセラ」が渡され、レジオの活動に参加しながら、少なくとも3ヶ月の「試みの期間」を過ごします。この期間が終了すると、レジオ・マリエへの宣誓式が行われますが、会員になるのは本人の意志であり、適格者であると認められた時に活動員となります。

テッセラは世界中のレジオ会員が持つ共通の冊子です。表紙は、中央に蛇を踏み付けている無原罪の聖母が描かれ、枠には、ラテン語で、創世記

3章15節「わたしは、お前と女との間に、またお前の子孫との間に敵意を置く」、ヨハネ福音書19章26節「婦人よ、ご覧なさい。あなたの子です」、27節「見なさい。あなたの母です」の言葉が書かれています。誘惑と戦う軍勢の女王で、全ての人の母である聖マリアの姿は、活動する会員に勇気と喜びを与えています。

集会は、小さな敷物の上に設けられた仮祭壇を囲み、テッセラを使用して行います。聖霊への祈り、ロザリオ5連の祈り、「カテーナ・レジオニース」の祈りの後、前回集会記録報告、会計報告、出欠点呼があり、指導司祭の霊的指導「アロクチオ」と続き、終了の祈りの後、司祭から祝福を頂いて閉会します。

カテーナ・レジオニースは、「レジオの鎖」と訳されます。全てのレジオ会員の日常生活とレジオを繋ぐ鎖であり、マリアと繋がる鎖でもありますから、会員はカテーナを毎日唱えなければなりません。

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Let It Be ルカによる福音書1章35~38節 ー 日本基督教団 磐上教会 牧師ー 河北朝祷会より (2019.1.10 第217回)

久生十蘭の短編小説『虹の橋』。戦後の混乱期、刑務所で生まれた身の上が露見するのを恐れ職を転々とした主人公、真山あさひは、同僚の北川千代が自分の名で男と心中したのをきっかけに「北川千代」に成りすまして、千代の目の不自由な祖母フサと同居を始め、味わったことのない家族の幸福を感じるのですが、千代が犯した殺人の容疑で逮捕されてしまいます。

あさひは、フサが自分を孫の千代と信じて服役から戻るのを待ってくれていることを知ります。「お手数をかけました…あたしは北川千代でございます。公訴の事実を認めます。」あさひははっきりと覚えのないことで身ごもっていました。獄中で女児を産み、過酷な境遇の中でも清らかな心根を失わない主人公の決意が胸を打つ小説です。 “Let It Be ルカによる福音書1章35~38節 ー 日本基督教団 磐上教会 牧師ー 河北朝祷会より (2019.1.10 第217回)” の続きを読む

北地区合同堅信式 ーカトリック枚方教会 信徒ー  河北朝祷会より (2018.12.13 第216回)

11月18日、北地区の合同堅信式がアベイヤ司教によって行われ、65名が堅信の秘跡を受けました。65名の内15名が枚方教会の信徒、その内7名が外国系の方々でした。

堅信の秘跡は、入信の3つの秘跡(洗礼、堅信、聖体)の一つで、聖書の「父から送られる聖霊」(ヨハネ14・15~26)などの御言葉に基づいています。使徒の後継者である司教が、聖霊が降ることを願う「按手」と、按手により聖なる者とされ、強められ、神から頂いた使命を果たせるように願う「塗油」を行うことによって授けられます。 “北地区合同堅信式 ーカトリック枚方教会 信徒ー  河北朝祷会より (2018.12.13 第216回)” の続きを読む