クリスチャンの成長 〈エフェソ4章11-15節〉 ー小牧ホープチャペル牧師ー 河北朝祷会より (2018.11.8 第215回)

「キリストを信じたら、罪が赦されて天国に行ける」とは素直に信じられても、エフェソ書のこの箇所は、なかなか事実だとは思えなかった。

11節では、キリストが〈ある人を牧者、教師とされた〉とある。その結果、12節では、〈聖なる者たち〉すなわち(クリスチャンたち)が、〈奉仕の業に適した者とされ〉、〈キリストの体〉(教会)を〈造り上げてゆき〉、とある。 “クリスチャンの成長 〈エフェソ4章11-15節〉 ー小牧ホープチャペル牧師ー 河北朝祷会より (2018.11.8 第215回)” の続きを読む

豊かに老いる(寄稿者 P.K) 河北朝祷会より (2018.10.11 第214回)

9月の第3月曜日は敬老の日です。私も高齢者であって、考えた事を簡単に話したいと思います。私にとって、この人生のステ-ジはどのような意味があるか、どの様に日々を豊かに過ごす事が出来るか? どの様にして人生の最後のステ-ジをクリスチャンの生活の絶頂になし得るか?

年の取り方も沢山あります。怒りっぽい年寄りがいれば、我慢強い年寄りもいます。いつも一人でいたい人もいれば、社交的な人もいます。悲観的な人と楽観的な人、利己的な人と寛大な人。人は皆年を取りますが、上手に年を取る講座がありません。

人生は太陽のコ-スに例えられます。朝早く陽が上って、地上を照らし、夕方その太陽は、暑さを和らげて、沈んで行きます。午後は朝と同じぐらい大切ですが、自然の法則は違います。高齢は人生の一つのステ-ジであり、制約と問題を持ちながら、可能性も沢山あります。

高齢者は三つの危機に会うと言われています。

一番目はアイデンティティの危機。人は自分についてのイメ-ジが体験している衰えによって問われているー「私は実際に誰ですか? 三十年前に皆に尊敬された人ですか、それとも粗大ごみの様に見なされている今の人ですか?」。 “豊かに老いる(寄稿者 P.K) 河北朝祷会より (2018.10.11 第214回)” の続きを読む

神の平和を求めて( 日本キリスト教団 森小路教会牧師) 河北朝祷会より (2018.9.13 第213回)

毎年この時期になりますとあの9・11の出来事を思い起します。またカトリックでは礼拝に平和の挨拶をされているようですし、この朝祷会でも毎回平和を求める祈り(アッシジの聖フランシスコ)を共に祈ります。それゆえ今朝は平和について皆さんと一緒に考えたいと思います。 “神の平和を求めて( 日本キリスト教団 森小路教会牧師) 河北朝祷会より (2018.9.13 第213回)” の続きを読む

私を励ますキリシタンたち(カトリック枚方教会信徒 T.F) 河北朝祷会より (2018.7.12 第212回)

先日、長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産がユネスコの世界遺産に登録が決まりました。これは17世紀から19世紀の約250年に及ぶキリスト教禁教下、既存の宗教や社会と共生しながらひそかに信仰を続けた潜伏キリシタンの文化的伝統を示す資産群とされています。 “私を励ますキリシタンたち(カトリック枚方教会信徒 T.F) 河北朝祷会より (2018.7.12 第212回)” の続きを読む

愛と真実( 学校法人大阪夕陽丘学園  常務理事・法人事務局長 ) 河北朝祷会より (2018.6 第211回)

「学園に来たり学ぶ者は、知識・技能より、その第一に『良き人間』になることを心がけなければならぬ」

「愛と真実こそ『良き人間』たる根本であり、真の愛は好き嫌いを越えたより大きな愛であり、真実とは人を偽らず正しい行いをする生活である」

この4月から私は生涯で3つ目の職場となる大阪夕陽丘学園に勤務しております。冒頭の言葉は、前半が学園の建学の精神であり、後半はその教育理念を説いたものです。 “愛と真実( 学校法人大阪夕陽丘学園  常務理事・法人事務局長 ) 河北朝祷会より (2018.6 第211回)” の続きを読む

コミュニケーションと ユーモア(寄稿者 枚方教会信徒 M.S) 河北朝祷会より (2018.5.10 第210回)

人は歳を重ねると老いていくのは自然の成り行きですが、昨日まで出来ていたことが出来ないとなると、能力の低下、肉体的な衰えを認めざるを得ない状況になり、人格までが悪くなって行くようで嫌なものです。今、真にその世代に生きる私がどのように考え過ごせば良いか考えてみました。 “コミュニケーションと ユーモア(寄稿者 枚方教会信徒 M.S) 河北朝祷会より (2018.5.10 第210回)” の続きを読む

再洗礼派メノナイトの歴史(寄稿者 日本メノナイトブレザレン 教団 退職牧師 J.F)河北朝祷会より(2018.4.12 第209回) 

ルターの宗教改革は1517年。そのわずか2年後に、ツウィングリがスイスのチューリヒで、市議会とともに宗教改革を始めた。
今日、町の中心部リマト川の畔に立つ彼の銅像は、右手に聖書、左手に剣を握り、聖書に従う改革を剣をもって成し遂げるとの、彼の宗教改革の性格を表しているようだ。彼はルターの改革をさらに聖書に従って進め、幼児洗礼に反対を表明していた。 “再洗礼派メノナイトの歴史(寄稿者 日本メノナイトブレザレン 教団 退職牧師 J.F)河北朝祷会より(2018.4.12 第209回) ” の続きを読む

十字架のキリスト像 (主任司祭ハイメ・シスネロス)河北朝祷会より(2018.3.8 第208回)

ハイメ神父写真

朗読してもらった聖書の箇所には、イエス様とニコデモのストーリがえがかれていて、皆様に親しみのある出会いです。イエスが述べた言葉を改めて聞きます。『はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない』(3:3)。『だれでも水と霊によって生まれなければ』と言い加えました。(3:5)。 “十字架のキリスト像 (主任司祭ハイメ・シスネロス)河北朝祷会より(2018.3.8 第208回)” の続きを読む

真理の自由(日本基督教団 森小路教会 J.S) 河北朝祷会より(2018.2.6 第207回)

(ヨハネによる福音書 8章31、32節)

この聖句は、あちらこちらの図書館や学校に掲げられていることがあります。ある意味真理とか自由と言いますとアカデミックで思想的な香りがするものです。学校自体が真理なるものの探究というのを目指していますし、図書館というのは知識の宝庫です。またリベラルアーツというように、自由というのは学問的態度と結びついているのではないでしょうか。 “真理の自由(日本基督教団 森小路教会 J.S) 河北朝祷会より(2018.2.6 第207回)” の続きを読む

種まきのたとえ  ー茨木東教会牧師ー 河北朝祷会より (2017.12.14 第206回)

教会に導かれて知ることとは、主イエス・キリストがどのようなお方であるかということです。主イエス・キリストは、私たちが主を信じることに先立って私たちを受け入れてくださり、十字架の上で死んで私たちの罪を赦してくださり、三日目の復活によって新しいいのちへと導いていてくださる方です。主イエスは罪人を愛し、その死への運命を憐れみ、死と滅びから救ってくださった方です。この恵みを知らされ、人は悔い改めに導かれたのです。この私たち自身が、み言葉が語る良い土地です。 “種まきのたとえ  ー茨木東教会牧師ー 河北朝祷会より (2017.12.14 第206回)” の続きを読む