婦人会黙想会  寄稿者N.T

6月7日に恒例の婦人会黙想会が開催され、ザベリオ会のロッコ・ビビアーノ神父が講話をされました。
その要約を紹介します。

「神の霊があなたがたの内に宿っている。」

黙想会の目的は信仰を育てることです。私たちにはその義務があります。黙想会においては、日常生活から離れて神と一緒にいる時間の中で、神を良く知り、神の気持ちを深く理解し、神に近づき、神をより愛するようになります。普段の生活に戻っても、神への心の姿勢は残り、信仰も神への愛も深まり、希望、喜びを生活の中で実感できたなら、黙想会の実りを感じるでしょう。


今日、このテーマを選んだのは、まもなく聖霊降臨の日だからです。聖霊降臨の日は教会の日です。個人の信仰がキリストのようになりますと、教会もキリストのようになります。

聖霊は神です。私たちと一緒に歩く神です。聖霊と人格的な関係を築きましょう。


ここで、聖書によって、聖霊と弟子たちの生活について学びたいと思います。そこで聖パウロのローマの信徒への手紙8章5節の「肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。」を取り上げます。

ここでの肉と霊の意味は、肉体と魂ではありません。肉に従って生きるとは、自分の欲しい物を求めて生きること、神の霊に従って生きるとは、神のみ旨を行うために生きることです。この生き方は全く異なります。神のみ旨を伝えるには、聖霊と関わらなければ難しいのです。


次に、聖霊について聖書を見てみましょう。聖霊の働きは、旧約聖書と新約聖書の両方に出てきます。旧約の時代に現れる聖霊は、特別な人に神さまから与えられています。特別な人とは、神さまから与えられた使命を持っている人、イスラエルの王、指導者、預言者です。

いずれの場合も、神はみ旨を行うとき、使命を果たすために聖霊を与えています。しかし、新約の時代なると、洗礼を受けた全ての人に与えられます。私たちにも、聖書に登場するような指導者モーセ、ダビデや預言者エリヤ、イザヤ、エゼキエルと同じ聖霊が与えられています。私たちも弟子たちと同じような聖霊を受けているのです。私たちもキリストと同じような仕事、使命を与えられているのです。教会の存在する理由は、キリストの使命を実現することです。キリストが人間になったのは全人類を救うためです。


聖霊降臨のとき、聖霊は教会に皆が集まったときに与えられました。だから一人一人に与えられたのと教会に与えられたことはつながっています。教会では、共同体の責任と個人個人の責任はつながっています。教会の聖性は一人一人の努力の結果です。聖性が高まれば、聖霊は、教会を使って神の存在、神の愛を現わされます。それは一人一人の努力の結果です。

つまり私たちは、自分の中にいる聖霊を意識しなければならないのです。私たちも聖霊をもらったのですから、人を救うために働かなければなりません。個人では限りがありますが、力を合わせれば大きな力となります。


最後に、皆様へイエスが昇天する前の御言葉を贈ります。

「あなたがたの上に聖霊が降りると、あなたがたは力を受ける、そしてエルサレムだけでなく、ユダヤとサマリアの土地、地の果てに至るまで、私の証人になる。」

五島列島巡礼の旅

6月11日(火)から14日(金)まで、長崎壮神父同行の「五島列島・日本最古のルルドと迫害の地、巡礼の旅」に参加しました。枚方教会からの参加者は神父を除いて12名でした。


一日目は移動日で、下五島福江港の近くにあるホテルに宿泊し、二日目の朝は有志ですぐ近くの福江教会を訪ねてお祈りをしました。
五島巡礼最初のミサは、井持浦教会にある日本最古のルルドでの野外ミサです。

晴天に恵まれ、さわやかな風、ウグイスのさえずり、トンボも突然参加するという自然と一体となった野外ミサは、言葉では言い表せない素晴らしいものとなりました。ミサの準備をして頂いた井持浦教会の信者の皆様に感謝です。


昼食後、楠原牢屋跡の中を見学しました。今回一緒に巡礼された方のご先祖や親族がこの迫害を受けられたとのことで、全員でお祈りを捧げました。その方はそのお祈りに感無量のご様子で、それを見た私たちも感動し、単に話を聞いただけでは得られない貴重な体験をさせて頂きました。

原牢屋跡 信徒は狭い場所に立ったままで閉じ込められ、朝夕に一切れの芋の生活を強いられた。

三日目はチャーター船にて久賀島に渡り、牢屋の窄(さこ)殉教記念聖堂にて殉教者のために祈願するミサが行われました。窄(さこ)とは狭い所という意味です。
久賀島からキリシタン洞窟クルーズを経て上五島に渡り、信者の経営するホテルに宿泊しました。


四日目は、上五島の教会巡礼で、先ず前田枢機卿の出身教会である仲知に向けて出発。曲がりくねった細い道を北上し、添乗スタッフから急斜面に立つ枢機卿の生家を教えて頂きました。仲知教会では巡礼最後のミサが行われ、巡礼中の6月12日に帰天されたパウロ佐々木義治様のためにも祈りました。

        仲知教会でのミサ

この巡礼では14の教会を巡りましたが、五島列島全体で46もの教会があり、しかもそれらが立派に維持されていることに驚かされます。


五島巡礼を通じて感じたことは、神を信頼し信仰を守り抜かれた方々の強い心です。私たちは、日常このことを思い起こし、くじけそうになっても勇気づけられ、信仰を守り続けることができますよう祈ります。

聖霊を信じます  ーカトリック枚方教会信徒 K・Pー 河北朝祷会より (2019.6.13 第222回)

聖書の専門家は、神の啓示の歴史を三つの段階に分けます。


第一の段階はアダムから洗礼者ヨハネまでイスラエルの時代、約束の時であり、父の時代とも呼ばれます。


第二の段階では、神の子は人間となり、神が誰であるかを示して、救いをもたらします。それはイエスの時代、救いの時代です。日曜日に私達が祝ったペンテコステ・聖霊降臨から世の終わりまで。


第三の段階であるこの時代は教会の時代、聖霊の時代なのです。


聖書によれば、神は霊であり、霊はヘブライ語で、「ルーアッハ」と言って、息吹、ひと吹き、風の意味です。霊は目に見えないけれど力があります。それは、我々の生命にとって呼吸するように、重要です。風の様に、嵐の様なエネルギーをもっています。暖かい光線が太陽から由来するように、聖霊は、神である御父と御子から出て、父と子と同じ様に神です。いのちの与え主であって、人の中で働く神自身です。


イスラエルで、士師や預言者や王達は神に托された任務を果たす為に、一時的に霊の力を授かります。イザヤは、メシアの上に「主の霊が留まる。知恵と識別の霊、思慮と勇気の霊、主を知り、畏れ敬う霊」と預言します(イザヤ⒒・2)。


聖霊の働きによって、母マリアはイエスを宿します。イエスはいつも聖霊と共に生き、霊の力によって、宣教活動をし、悪霊を追い払い、病人を癒して、奇跡を行います。


イエスは、弱気な弟子達を強める為に、別の弁護者、慰める方、助ける方を送ることを約束します。その方は弟子達にイエスの言葉を理解させて、イエスのいのち・精神・原動力を与えます。


宗教的な次元では、私達はペンテコステの日に始まった聖霊の時代、聖霊元号を生きています。ペンテコステの日、恐怖に襲われた弟子達は霊的な熱意で一杯になって、イエスの事を勇敢に証言しました。心から心へ話したペトロの言葉は皆に理解されて、聞いた人々の心に届きました。その日、三千人ほど信仰を抱き、洗礼を受け、イエス・キリストの内の共同体となりました。


私達は使徒信条で「わたしは神の聖霊を信じます」と唱える。


聖霊は、私達一人一人に、良心を通して語り掛け、使徒の証言と教え、我が共同体に創造性とダイナミズムを与えて、行動するように促して下さいます。

先月、感動させるいくつかの便りを聞きました。


5月7日に、知的ハンデイをもつラルシュ共同体の創立者ジャン・バニエはパリで亡くなりました。知的ハンディがある人と一緒に長年暮らして、与えたものよりも受けたものの方が多いと言い、各々の人の偉大さを強調しました。


18日に、自分の父を殺した人達を心から赦したグアダルーペ・オルティスはマドリードで列福されました。


19日に、中央アフリカ共和国でイネス・サンチョは殺されました。危ない所へ出ていくなとの忠告に応じないで、裁縫を教え、困っている女性達を見捨てない為、殉教の危険を選んだ人です。


これらの素晴らしい人達は、自分の活動を通して、神の霊が働いた事を見せています。


彼らが聖霊の導きに素直に従った様に、私達も聖霊のささやきを聞いて、聖霊に動かされて行動すれば、幸せでしょう。いつも回心の態度を持ち、イエスの福音を見直して、マリアと共に、聖霊が豊かに注がれるように切に願いましょう。

洗礼の恵みを受けて

復活祭(4月20日)に洗礼を受けられた5名の方から、受洗の感想を頂きました。枚方教会共同体の一員としてよろしくお願い致します。

セシリア M・R

入門講座へ通い始めたのが2018年1月でした。洗礼を授けていただき、共同体の皆様が笑顔で迎え入れてくださったこと、イエス様が教会へ呼んでくださった事実に感謝している毎日です。

過去、自信や強がりだけで生きてきた私はいつも正しい成果を挙げていたつもりでした。それが過信だと全く気付かずに走り続けて、たくさん人を傷付け無茶を重ねてきた結果、ある時期に大きな失敗を招きました。社会的な立場や経済面の問題だけでなく、過信による後悔を何よりも思い知ったのは、その後の母の突然死でした。

長く精神を患って引き籠り状態だった母。会話を兼ねて食事の作り置きに通ってた頃は、週に一度私が訪ねてくる事を楽しみにしてくれていました。

その頃に唯一、外出の提案に同意してくれたのが教会だったのです。「仕事落ち着いたら連れてく」と言ったのに、失敗を招いて自分の事しか目に入らなくなり、実家へ行く回数も減りました。約束を思い出させてくれたのは、母が亡くなった事を伝えた知人の言葉でした。「お母様のこと祈っとくね」と言って、イエス様の話を聞かせてくれたのです。聖書を知りたい気持ちに迷いや躊躇いはありませんでした。

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消火避難訓練

5月19日(日)各ミサ後に一年に一回の実施を義務付けられている火災避難訓練が行われた。

「消防署への通報訓練」、「避難訓練」、「消火訓練」が営繕委員長の指示に従いスムーズに実施された。消火訓練では消防署からお借りした水の出る消火器で、昌川神父の作成された仮想の火をめがけて、何人かの方々に実際に噴射して頂き、うまく命中されると大きな喚声が上がっていた。

聖週間の典礼と行事

受難の主日(枝の主日) 4月14日・午前11時

11時のミサの初めに、「主のエルサレム入城の記念」が行われた。枝を持って集会の家に集まった信徒が交唱を歌って司祭を迎え、フリオ神父が枝を持った信徒を祝福。ハイメ神父によるイエス入城の福音朗読の後、全員が行列を作って聖堂に入り、ホザンナを歌って司祭を迎え入れた。

聖木曜日(主の晩さん)4月18日・午後7時

キリストの聖体制定を記念するこの夕べ、ミサの中で洗足式。キリストが弟子たちの足を洗い、「仕える者」の姿を見せられたことに因むもので、ハイメ神父が12人の信徒の足を洗われた。ミサの後、ご聖体は集会の家の仮安置所に行列によって移された。

信徒の足を洗うハイメ神父

聖金曜日(主の受難) 4月19日・午後7時

キリストの受難と死を思い十字架の勝利を讃える祭儀。ヨハネ福音書の「主の受難」が朗読された後、盛式共同祈願があり、「十字架の礼拝」に移る。長崎神父が十字架を掲げて入堂し、祭壇で顕示される。司祭に続き信徒は行列を作って十字架を礼拝。最後にご聖体を拝領して終わる。

十字架を顕示する長崎神父

復活の主日

復活の聖なる徹夜祭 4月20日・午後7時

キリストの復活を目覚めて祈り迎える大切な祭儀。聖堂前で、復活のろうそくが新しい火で灯される。「キリストの光」。信徒もろうそくを手に行列して聖堂に入る。復活賛歌が歌われる。「ことばの典礼」では人間の歴史に働く神の業を味わう。「洗礼式」では5人が洗礼を受けられた。

復活の主日(日中のミサ) 4月21日・午前9・11時

大祝日、11時のミサは聖堂がいっぱいに。ミサ後に復活祭を祝いパーティが行われた。

復活祭祝賀パーティ(兼)司祭歓送迎会&受洗者祝賀会

大勢の信徒が参加した祝賀パーティー

神の子どもたちはみな踊る   ーカトリック枚方教会 K・T ー  河北朝祷会より (2019.4.11 第220回)

村上春樹にこのような題名の短編小説があり、内容は期待したものとは違いましたが、ちょっと考えさせられました。

「神の子」とは、新約聖書では先ず「イエス・キリスト」、そして洗礼を受けた私たち信者と考えられるでしょう。ガラテア書3章26節に「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです」とありますし、ヨハネ第1の手紙3章1節には、「御父がどれほど私たちを愛して下さるか考えなさい。それは私たちが神の子と呼ばれるほどです」とあります。

私が神の子? この小説の主人公は、新興宗教の信者らしい母親から「あなたは神の子」と育てられ、「こんな私が神の子であるはずがない」と悩みます。カトリック信者ながらイエスの教えが中々守れない私も、「これで神の子なのだろうか」と悩みました。

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四旬節の黙想会

3月17日(日)、枚方教会出身で現在は東京にて活躍中の梅﨑神父様を迎えて、四旬節の黙想会が行われた。神父様は11時のミサの司式をされると共に、黙想会の前段としての説教をされた。

午後1時からは講話があり、親しみやすいお話に、信徒は和やかに楽しく聞き入った。 

幼少のころから青年期までを枚方教会で過ごされた神父様は、その当時の日々の思い出と、出会った神父様方による心の成長、そして神父となってからの体験が、ご自分にどんな影響をもたらしたかなどについてユーモアたっぷりに話された。そして「神様に救われている日々」であり「神様は人間が好きだ」と強調された。

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「わたしは福音を 恥としない」 ー日本イエス・キリスト教団 明野キリスト教会  牧師 大頭眞一 氏ー  河北朝祷会より (2019.3.14 第219回)

レント、主イエスの十字架のみ跡をたどる旅のさ中、ごいっしょに祈るときをうれしく思っています。カトリック枚方教会の会報にあった「壊されてくださるマリアさま」の印象は強烈で、著書にも引用させていただきました。私たちの罪のために壊されてくださったキリストの血は、私たちをひとつに結び合わせる血でもあります。

東日本大震災から8回目の3月11日がやって来て、過ぎて行きました。2月末、私は京都の牧師仲間といっしょに、東北の諸教会を訪問しました。大震災後四回目です。

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レジオ・マリエについて  ーカトリック枚方教会  M.Sさんー  河北朝祷会より (2019.2.14 第218回)

レジオ・マリエは、1925年11月アイルランド人のフランク・ダフ氏が創立。「マリアの軍隊」を意味します。聖母マリアと共に祈り、謙遜に人々への奉仕に努めるマリアの役割に、熱心に協力したいと願う愛に溢れた共同体です。

レジオの入会希望者には「テッセラ」が渡され、レジオの活動に参加しながら、少なくとも3ヶ月の「試みの期間」を過ごします。この期間が終了すると、レジオ・マリエへの宣誓式が行われますが、会員になるのは本人の意志であり、適格者であると認められた時に活動員となります。

テッセラは世界中のレジオ会員が持つ共通の冊子です。表紙は、中央に蛇を踏み付けている無原罪の聖母が描かれ、枠には、ラテン語で、創世記

3章15節「わたしは、お前と女との間に、またお前の子孫との間に敵意を置く」、ヨハネ福音書19章26節「婦人よ、ご覧なさい。あなたの子です」、27節「見なさい。あなたの母です」の言葉が書かれています。誘惑と戦う軍勢の女王で、全ての人の母である聖マリアの姿は、活動する会員に勇気と喜びを与えています。

集会は、小さな敷物の上に設けられた仮祭壇を囲み、テッセラを使用して行います。聖霊への祈り、ロザリオ5連の祈り、「カテーナ・レジオニース」の祈りの後、前回集会記録報告、会計報告、出欠点呼があり、指導司祭の霊的指導「アロクチオ」と続き、終了の祈りの後、司祭から祝福を頂いて閉会します。

カテーナ・レジオニースは、「レジオの鎖」と訳されます。全てのレジオ会員の日常生活とレジオを繋ぐ鎖であり、マリアと繋がる鎖でもありますから、会員はカテーナを毎日唱えなければなりません。

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