イエス様のおはようの声  長崎壮神父

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毎年復活の主日の朝になると、眠い目をこすりながらベッドの中で神様に呼びかける祈りがあります。それは「この日が心地よい晴れた一日でありますように…」という祈りです。

さいわい洗礼を受けてかれこれ三十年近くこの祈りはかなえられてきましたが、私たちキリスト信者の暦の頂点である復活祭、あらたな歩みのはじまりの復活の主日の朝がさわやかな春の日でありますように・・・との願いは多くの信者さんにとっても同じでことではないかと思います。

ところで御復活の朝、マグダラのマリアに掛けられたイエス様の言葉は「おはよう」というごく平凡なことばです。普段なにげなく使っている言葉ですが、この「おはよう」という言葉は、新しい一日の始まりの挨拶としてだけでなく、「お早くからご苦労様」と相手をねぎらう温かい意味もあります。

ですから一年で最もこの「おはよう」が耳に心地よく響くのは教会の新年度が始まる復活祭の朝であり、それが温かな日差しの朝であればあるほど御復活の喜びは格別になります。

さて、復活祭を機に司祭は新しい任地に派遣されることになりますが、私はこれまで四年間過ごしてきた枚方教会で今度は主任司祭としてあらたな歩みを始めます。

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気づかせることば  長崎壮神父

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故郷の家に帰省すると、姪や甥そして私の兄とともに必ず遊ぶゲームがあります。

「人生ゲーム」という四十年近く前からあるゲームで、すごろくの進化版のようなものです。参加者がルーレットを回してビジネスマン、教師などの職業につき、ゴールした時の資産額で順位が決まります。

小学生の高学年になった甥っ子は、ゲームの中で家族のほかの者がどのような職業につこうと、株でお金を儲けようと何も言いませんが、私がコマを進めてそこに書いてある指示を読み上げるたびに、「おじちゃん、神父のくせにそんなサイドビジネスを始めちゃっていいの?」等々の解説を入れます。

その解説を聞いていると、しばらく会わないうちに社会のいろいろなことを知るようになった甥っ子の成長が喜ばしく思えますが、キリスト信者でない甥っ子にとっても「おじちゃん=365日司祭」なのであって、ゲームという仮想世界の中でもそれは変わらないということにハッとさせられます。

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退行説をくつがえす  長崎壮神父

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現代社会はスピード社会で、待つことなく短時間で様々なサービスを受けることができます。
そういった生活環境の便利さが進めば進むほど私たちは「待つこと」が年々苦手になり、忍耐強く待つことなしにすぐに目に見える効果や結果を求める傾向にあることに気づかされます。
電子メールをはじめとするSNSの発達は便利でありがたいものですが、若い人の中にはメールを送った相手からその返事がすぐに返ってこないと不安になる人が多いそうです。こういった待つことが苦手となった現代人の心象を見るにつけ人類退行説を唱えたくなります。 “退行説をくつがえす  長崎壮神父” の続きを読む

すすんであかりをつける  長崎壮神父

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8月15日にカトリック教会が祝う聖母の被昇天の祭日はおりしも第二次大戦の終戦記念日と重なっています。

そしてこの日が近づくと毎年、私の頭にはひとつの思い出がよみがえります。
昭和ひと桁生まれで、青春期に勤労動員に駆りだされ、空襲を受けた経験をもつ亡父は毎年この日になると学徒兵の日常を描いた阿川弘之著の『雲の墓標』という小説を読み、家族そろって昼食にすいとんを食べるのがお決まりでした。

終戦記念日の父の心中を察するに、きっと多くの可能性や未来を持ちながらも命の花を咲かすことなく戦争の犠牲となった若者への哀悼の心を父なりに表現したかったのではないかと想像していますが、それを引き継ぐように今でもこの日がくると、ふるさとの家の仏壇の閼伽棚(あかだな)にはすいとんとともにこの小説を供えてつつましく過ごすのがならわしとなっています。

戦争体験のない私にとって物心つく頃から、両親をはじめ辛い戦争体験を持つ平和の大切さの語りべが身の回りにいたことは幸いでしたが、司祭となって平和旬間行事に毎年向き合うことになると、キリスト者にとっての平和についてあらためて考えさせられます。 “すすんであかりをつける  長崎壮神父” の続きを読む

おかんどうしてる?  長崎壮神父

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同じ国の中でも地方それぞれに特別な言葉があります。
関東で生まれ育ち、司祭叙階後にはじめて大阪で暮らし始めることになった私には、この地で会える古くからの友人はごく僅かで、普段の交友関係といえばもっぱら教会の中のお付き合いに限られます。
そうしたお付き合いの中で最近は大阪ことばを聞いてその響きや意味の豊かさを楽しむ余裕も出てきたようです。
そのひとつ、三十~四十代の男性信者さんと話をしているとしばしば新鮮に響く言葉があります。 “おかんどうしてる?  長崎壮神父” の続きを読む

人がいちばん美しく見えるとき  長崎壮神父

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枚方教会に赴任以来、毎年一月半ばになると短大で看護師の国家試験の合格を祈る《みことばの祭儀》を司式することが私の年中行事になっています。
毎年この式には看護士の国家試験を一週間後に控えた五十人ほどの学生が集まりますが、はじめは皆が不安の入り混じった深刻な表情をしています。 “人がいちばん美しく見えるとき  長崎壮神父” の続きを読む

マイ スウイート ホーム  長崎壮神父

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昨年の待降節に修室の書架の埃を払って何年ぶりかでC・ディケンズの名作『クリスマスカロル』を読んでみました。それまで頑な心であった主人公スクルージがクリスマスの夜に不思議な体験をしてそれまでと生きかたが変わったという物語です。 “マイ スウイート ホーム  長崎壮神父” の続きを読む

イエス様、散らかっていますがどうぞ・・・・  長崎壮神父

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修道院の食事のときなど、各自の部屋の中にものが多過ぎやしないか整理整頓されているかどうか等、ときおり司祭同士の部屋の状態が話題になることがあります。アヴィラの聖テレジアにも心を部屋にたとえて説明する『霊魂の城』という著作もある通り、確かに人の心の状態というのは個々の部屋に反映されるのかもしれません。 “イエス様、散らかっていますがどうぞ・・・・  長崎壮神父” の続きを読む

外国人になる 長崎壮神父

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三ヶ月にわたるスペイン研修での最初の滞在先、ヴィックの街は様変わりしていました。六年前に初めて訪れた時にはあまり見かけることのなかったアフリカからの移住者が増え、日曜日に目抜き通りで開かれる市場の露店主も約半数がアフリカ出身のムスリムの経営者のようでした。 “外国人になる 長崎壮神父” の続きを読む

ファチマで沐浴 長崎壮神父

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昨年12月12日、枚方教会の保護聖人であるグァダルーペの聖母の記念日にポルトガルのファチマに聖地巡礼に行ってきました。実は前の週に五日間、インドネシアに会議のために滞在していました。温暖なインドネシアから枚方修道院へとひとまずきびすを返し、その2日後に寒い冬のヨーロッパに行くことを思うと体力的にも厳しく正直なところ気乗りがしませんでした。 “ファチマで沐浴 長崎壮神父” の続きを読む