祈り、祈られ、支え合う
主任司祭 長崎壮

長崎神父写真

枚方教会の信者の皆さん、長い自粛生活を本当にお疲れさまです。

今年は私たちキリスト信者にとって最大の祝いである復活祭をはじめ、四旬節から復活節のほぼ全ての典礼と行事が空白となる異例の事態となりました。

信者さん同士の交わりの機会も失われ、心細さを感じながらの日々であったと思います。

そのような期間を耐え忍ばれた皆様に対してお掛けしたい言葉はやはり心からの「お疲れさま」です。

自粛期間中、教会に入る信者さんからの問い合わせではミサへの参加を待ちわびていることがひしひしと伝わってきましたが、ミサの中止が始まって間もなくの頃、電話でひとりの信者さんから「神父さんは、教会に行かない私のことを怒っていませんか」と問われました。

私はその人の心の清さに打たれましたが、「あなたをはじめ、教会に来ることができない全ての信者さんに代わって祈りますから、お辛いでしょうけれど今しばらく御自宅で辛抱してください」と答えるのがやっとでした。

専門家でさえも意見が割れる新型コロナウイルスの脅威を前にして牧者として全くの無力さを感じた瞬間です。

その一方で、公開ミサ自粛の間、個人的なお祈りで訪れる信者さんと話す機会もあり、「ミサの自粛を通じて、ミサの力の大きさにあらためて気づきました」という声や「これほどよく祈った期間はありませんでした」という声を聞いた時には私も勇気づけられました。

さて、目に見えない新型コロナウイルスの蔓延が私たちに示した〝時のしるし〟から私たちは色々なメッセージを読み取ることができます。

そのひとつ、この自粛期間中に私が度々思い出したのは昨年来日された教皇フランシスコが私たちに投げかけられた「すべての命を守るため…」ということばです。

神様からいただいた賜物である命、自分の命はもちろんのこと、大切な人の命を守るためには神様からのお恵みと同時に私たちの方からも会いたい人に会うこと、平常時であればできたであろう楽しみを犠牲として捧げる協力をしなければなりませんでした。
 
いまだ予断をゆるさない状況が続く中、私たちキリスト信者は互いに祈り、祈られ、支え合いたいものです。

相手のために祈ることも大切ですが、自分も祈られていることを感じる体験は信者の集まりである教会の絆を強固にします。

健康に不安を抱え教会に来ることができない方も沢山いますが、その方々の分までよく祈りましょう。

そして来られない信者さんの側も、枚方教会には自分のためにお祈りしている兄弟姉妹がいることを信じ、キリスト信者の連帯感を感じていただきたいと思います。

主日ミサ再開とミサ参加の地区割制導入についてのお知らせ

♰ 主の平和が皆さんとともに


カトリック枚方教会ではこのたび新型コロナウイルス感染症予防のための措置としての公開ミサ中止を解除し、主日の公開ミサを6月13日(土19:00)より再開することを決定いたしました。

しかし、この決定の後、各地でのクラスター(集団)感染の発生等、予断をゆるさないことに変わりがないため、信徒の皆様ひとりひとりの健康と安全を鑑み、一回のミサの参加者数を限定する必要に迫られ、急遽各ミサの参加者を地区割制にさせていただくことになりました。

なお、基礎疾患をお持ちの方、健康に不安をお持ちの方は、公開ミサ中止期間と同様に感染拡大が完全収束するまで主日ミサに参加する義務は免除されます。

引き続き健康に御留意のうえ、家庭でみことばの黙想や祈祷書を用いた祈り、ロザリオ等を通じて祈り下さい。

★土曜日19時からの主日ミサには地区割制を導入しておりませんので自由にご参加ください。

★6月16日より平日の火曜日と木曜日の10時よりミサを再開いたします(6月)が、このミサは主日ミサに参加できなかった人のためのものとします。

★第三主日9時から行われていたこどもミサは、場所をうみのほし幼稚園講堂に移して従来通り9時から行います。

★主日の外国語のミサ、ポルトガル語(第1主日15時)、英語(第2主日15時) ミサには変更がありませんが、スペイン語ミサのみ第4主日の15時と16時の二回行います。

※なお教会に行くことに不安をお持ちの方で諸秘跡をご希望の方は、司祭にご連絡を頂けましたら、ご家庭まで聖体を奉持するほか、病者の塗油、赦しの秘跡などもお授けすることができますので是非教会までご一報ください。


     2020年6月1日
 枚方教会主任司祭 長崎壮

主日ミサの地区割


6月14日より当面の間、以下の地区割に従ってミサに御参加ください。

A地区の方は8:30開始のミサ、 B地区の方は10:00開始のミサ、 C地区の方は11:30開始のミサにそれぞれ御参加ください。

皆が安全にミサに参加できるように、指定された地区以外のミサへの参加はお控えいただきますようお願いいたします。

【A地区】 8:30開始
枚方中央 枚方公園 牧野 招堤 片鉾・田口 御殿山 中宮・禁野

【B地区】 10:00開始
交野西 交野東 茄子作・釈尊寺 山之上・香里 宮之阪・村野 寝屋川・市外

【C地区】 11:30開始
八幡 松井山手 樟葉 長尾・津田・国道東 長尾西

御名を慕って歩み始めよう
主任司祭 長崎 壮

長崎神父写真

駆け出しの会社員時代、仕事相手の人に名前を覚えていただいていることを知ったときはとても嬉しかったことを思い出します。当時の私にとって相手の名前をできるだけ早く覚えることが仕事のひとつでしたが、最近その能力が落ちてきているようでしきりに反省しています。

名前は人格の入口だと言われ、名前を知ること、相手を名前で呼ぶことでその人との親しさはグッと増します。

その意味で外国から宣教師として来られた司祭で日本人の名前を早く覚えられる司祭からは宣教師としての熱意が感じられ偉いなあと思います。

カトリック国と言われる国では洗礼名がそのまま社会の中の公の名前にもなりますが、日本をはじめ宣教国では多くの方が公の名と霊名(洗礼名)とふたつの名前をいただくことになります。

親は自分の子供に名前をつけるとき、我が子の将来の幸せを願い、期待を込めて名づけますが、信者の家庭であれば洗礼名をつけるときも同じ思いでしょう。

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人を生かす死 いのちの伝達
主任司祭 長崎 壮

長崎神父写真

カトリック教会の典礼暦では十一月を死者の月としています。

日本では死者をお盆の期間に追悼しますので、枚方教会でも日本の習慣に合わせてお盆の期間に当たる聖母被昇天の祭日に死者追悼祈念ミサをお捧げしましたが、教会の死者の月も大切にしていただきたいと思います。

今年の八月は例年以上に暑さが厳しく枚方教会では葬儀が多く行われ、私たちの信仰の先輩方を天上の教会へと送り出したことは悲しいことですが、天国に旅立った親を見送ったご家族からは故人への感謝とともに、故人から引き継いだ信仰を大切にしていこうという気持ちが強く感じられました。

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出迎えるこころ 長崎壮神父

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クラレチアン宣教会の創立170周年にあたり、枚方教会では7月14日(日)に宣教について考え、特別に祈る日としてクラレチアンミッションデーという初めての試みを行いました。

これに先立つ11日から枚方教会には香港からの14名、レジデンスにはマカオからの19名の巡礼団を迎えて一週間を共に過ごすことになりましたが、ミッションデー当日の11時のミサは久しぶりに聖堂が人で溢れかえり、皆が心をひとつにして祈ることができたと思います。

今回枚方に迎えた巡礼者の人々ですが、ほとんどのカトリック巡礼ツアーが快適なホテルに宿泊し、バスで各所を移動する御時世の中、クラレチアン会の司牧する教会の雰囲気を感じたいという願いから教会の信徒会館で宿泊することになりました。

旅程も前の晩に参加者の体調を見ながら計画を立てるという日替わりだったため、迎える側としては戸惑うことも多かったのですが、戸惑うということはきっと私たちが計画を立ててそれを忠実に実行することで満足する生活に慣れているからなのでしょう。

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イエス様のおはようの声  長崎壮神父

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毎年復活の主日の朝になると、眠い目をこすりながらベッドの中で神様に呼びかける祈りがあります。それは「この日が心地よい晴れた一日でありますように…」という祈りです。

さいわい洗礼を受けてかれこれ三十年近くこの祈りはかなえられてきましたが、私たちキリスト信者の暦の頂点である復活祭、あらたな歩みのはじまりの復活の主日の朝がさわやかな春の日でありますように・・・との願いは多くの信者さんにとっても同じでことではないかと思います。

ところで御復活の朝、マグダラのマリアに掛けられたイエス様の言葉は「おはよう」というごく平凡なことばです。普段なにげなく使っている言葉ですが、この「おはよう」という言葉は、新しい一日の始まりの挨拶としてだけでなく、「お早くからご苦労様」と相手をねぎらう温かい意味もあります。

ですから一年で最もこの「おはよう」が耳に心地よく響くのは教会の新年度が始まる復活祭の朝であり、それが温かな日差しの朝であればあるほど御復活の喜びは格別になります。

さて、復活祭を機に司祭は新しい任地に派遣されることになりますが、私はこれまで四年間過ごしてきた枚方教会で今度は主任司祭としてあらたな歩みを始めます。

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気づかせることば  長崎壮神父

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故郷の家に帰省すると、姪や甥そして私の兄とともに必ず遊ぶゲームがあります。

「人生ゲーム」という四十年近く前からあるゲームで、すごろくの進化版のようなものです。参加者がルーレットを回してビジネスマン、教師などの職業につき、ゴールした時の資産額で順位が決まります。

小学生の高学年になった甥っ子は、ゲームの中で家族のほかの者がどのような職業につこうと、株でお金を儲けようと何も言いませんが、私がコマを進めてそこに書いてある指示を読み上げるたびに、「おじちゃん、神父のくせにそんなサイドビジネスを始めちゃっていいの?」等々の解説を入れます。

その解説を聞いていると、しばらく会わないうちに社会のいろいろなことを知るようになった甥っ子の成長が喜ばしく思えますが、キリスト信者でない甥っ子にとっても「おじちゃん=365日司祭」なのであって、ゲームという仮想世界の中でもそれは変わらないということにハッとさせられます。

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退行説をくつがえす  長崎壮神父

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現代社会はスピード社会で、待つことなく短時間で様々なサービスを受けることができます。
そういった生活環境の便利さが進めば進むほど私たちは「待つこと」が年々苦手になり、忍耐強く待つことなしにすぐに目に見える効果や結果を求める傾向にあることに気づかされます。
電子メールをはじめとするSNSの発達は便利でありがたいものですが、若い人の中にはメールを送った相手からその返事がすぐに返ってこないと不安になる人が多いそうです。こういった待つことが苦手となった現代人の心象を見るにつけ人類退行説を唱えたくなります。 “退行説をくつがえす  長崎壮神父” の続きを読む

すすんであかりをつける  長崎壮神父

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8月15日にカトリック教会が祝う聖母の被昇天の祭日はおりしも第二次大戦の終戦記念日と重なっています。

そしてこの日が近づくと毎年、私の頭にはひとつの思い出がよみがえります。
昭和ひと桁生まれで、青春期に勤労動員に駆りだされ、空襲を受けた経験をもつ亡父は毎年この日になると学徒兵の日常を描いた阿川弘之著の『雲の墓標』という小説を読み、家族そろって昼食にすいとんを食べるのがお決まりでした。

終戦記念日の父の心中を察するに、きっと多くの可能性や未来を持ちながらも命の花を咲かすことなく戦争の犠牲となった若者への哀悼の心を父なりに表現したかったのではないかと想像していますが、それを引き継ぐように今でもこの日がくると、ふるさとの家の仏壇の閼伽棚(あかだな)にはすいとんとともにこの小説を供えてつつましく過ごすのがならわしとなっています。

戦争体験のない私にとって物心つく頃から、両親をはじめ辛い戦争体験を持つ平和の大切さの語りべが身の回りにいたことは幸いでしたが、司祭となって平和旬間行事に毎年向き合うことになると、キリスト者にとっての平和についてあらためて考えさせられます。 “すすんであかりをつける  長崎壮神父” の続きを読む

おかんどうしてる?  長崎壮神父

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同じ国の中でも地方それぞれに特別な言葉があります。
関東で生まれ育ち、司祭叙階後にはじめて大阪で暮らし始めることになった私には、この地で会える古くからの友人はごく僅かで、普段の交友関係といえばもっぱら教会の中のお付き合いに限られます。
そうしたお付き合いの中で最近は大阪ことばを聞いてその響きや意味の豊かさを楽しむ余裕も出てきたようです。
そのひとつ、三十~四十代の男性信者さんと話をしているとしばしば新鮮に響く言葉があります。 “おかんどうしてる?  長崎壮神父” の続きを読む