長崎神父しろきたBへ

4月16日(日)のミサを最後に長崎神父が枚方教会からしろきたBに異動されました。

ミサ後に花束と記念品が贈呈され、赤川さんからお礼の言葉が述べられて全員の拍手で感謝の気持ちを伝えました。

ふるさと前橋追懐
長崎壮神父

上毛三山のひとつ赤城山の裾野がゆるやかに展けたところに私のふるさと前橋の街は広がります。

群馬県は県の西部に富岡製糸場、東には絹織物で有名な桐生市がありますが、県庁所在地の前橋市も明治のはじめから製糸業で栄えた町で、私が中学を卒業する頃までは街にはまだ製糸工場が残っていました。

生家は前橋市の中心部、近くには詩人萩原朔太郎が「広瀬川白く流れたり」と謳った広瀬川が流れ、その河畔には前橋文学館や美術館があります。

前橋は朔太郎のほかにも伊藤信吉をはじめとする幾人かの詩人のふるさとでもあり、蛙の詩人・草野心平も新聞記者としてこの地に住んでいました。

幼稚園から中学校まで群馬大学附属に通いましたが附属小は制服制帽。

赤城おろしのからっ風の厳しい冬でも半ズボンで、太腿の内側は擦れて痛く私服で通う市立の子たちが羨ましかった。

長兄や当時の人気漫画ドカベンの影響もあって野球好きになりましたが、附属小には少年野球チームはなく、市立の小学校の子供ばかりから成るチームに入れてもらい日暮れまで大声を出して野球に打ち込んだことを懐かしく思い出します。 “ふるさと前橋追懐
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馬小屋の聖家族を見つめて
主任司祭 長崎 壮

長崎神父写真

枚方教会の皆さん、主のご降誕とともに新年の喜びを申し上げます。

主イエス・キリストの誕生をともに祝った降誕祭から教会の暦では降誕節が始まります。

その降誕節には「聖家族」や「神の母聖マリア」、そして「御公現」といった祝日があり、教会の一年の暦の中でも一番家庭的で温かな雰囲気に包まれます。

皆さんも年末年始は帰省などにより普段会えない家族で過ごす機会も増えることでしょう。

そのような家庭的な雰囲気の中にいる皆さんは、馬小屋の情景、そして幼子イエスの無垢な姿から今年あらたに心を動かされるような体験がありましたでしょうか?

毎年暦通りに繰り返される馬小屋への黙想は、ともすれば見飽きた映画やドラマのようにマンネリ化してしまいがちですが、私たちがそこから新たなインスピレーションを受け、年毎に幼子イエスへの親しみが増すとともに、家庭を守るマリアとヨセフの姿に倣い、愛において豊かになっていくことができればと願っています。

この馬小屋の幼子イエスと聖家族について、静養のためクラレチアンレジデンスに移られたフラデラ神父様は特別の思いを持たれていたようです。

経年劣化のため、ところどころ塗料が剥がれた枚方教会のマリアとヨセフを憐れに思われたようで、「枚方教会のマリア様とヨセフ様は関西医大で治療を受けられた方がよい」とおっしゃられ、聖堂の幼子イエスをくるむ布が薄いのを見られると、「イエス様が寒そうで可哀想だ。もっと温かそうなものを」と嘆かれていました。 “馬小屋の聖家族を見つめて
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聖母被昇天祭に思う
主任司祭 長崎壮

長崎神父写真

涼しい秋の訪れを感じるにはまだしばらく待たなければなりませんが、枚方教会では8月の一大行事である聖母被昇天祭を無事に終えることができました。

昨年は司祭団と評議員や典礼委員の方々のみが共同体を代表するかたちで捧げる少し寂しいミサでしたが、今年は参加制限をなしにして教会の兄弟姉妹とともに同じ場で祝えたことは大きな喜びです。

聖母の被昇天は洗礼によって神様と深く結ばれた私たちがこの世の旅路を終えた後に行くべきところは神様のみもとであることを示す希望のしるしです。

そして、おりしもこの祭日は日本ではお盆の時期と重なることから枚方教会では死者追悼の意向を合わせてミサを捧げる伝統があります。

私たちに信仰を伝えてくれた家族や恩人たちがマリア様の被昇天にあやかって、永遠の安息に入ることを祈るとともに、彼らが私たちに残してくれた信仰の恵みの大きさについてもう一度考え、「それを大切に引き継いで生きよう」と決意を新たにする大切な意味があります。

この祭日を祝うにあたって私の頭に去来したことは、この一年の間に信仰が篤くよく祈り教会の種々の活動で活躍された方が多く神様のみもとへと旅立っていかれたことです。 “聖母被昇天祭に思う
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復活の光のうちに歩もう
主任司祭 長崎 壮

長崎神父写真

皆さん主の御復活おめでとうございます。

今年の四旬節は新型コロナの脅威に加えてウクライナ危機という新たな困難が生じ、祈らずにはいられない四旬節になりましたが、そういった危機にあってイエスの復活は私たちに希望をもたらします。

おととしから続くコロナ禍での復活徹夜祭の典礼において私の心をとらえたのは、光の祭儀の闇の中で灯されたあの復活の大ローソクでした。

闇のような時代であるからこそ復活徹夜祭で灯された復活の大ローソクを見るとき、今世界を覆っている闇を追いやる世の光イエス・キリストへの信仰と祈る心を奮い立たせるからです。

もうひとつ、光の祭儀の灯は私たちがこれからの歩みの中で何か闇を感じたならば、立ち戻る先はまことの光であるイエス・キリストであることを示しているように思えます。

イエス・キリストこそ私たちが本当の意味で生きるための〝いのちのことば〟を持っており、イエスの語りかける〝みことば〟の中にこそ私たちが生きるための知恵があります。

皆さんがもし闇を感じたならば、光である主イエスが待っておられる教会を訪ね、祈りの中で、また信者さん同士の交わりの中に光を見出していただけたらと思います。 “復活の光のうちに歩もう
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典礼と色 祭服の色の意味
長崎壮神父

カトリック教会の典礼、聖堂の装飾には私たちの目を通して訴えかける様々なしるしがあります。

そのひとつが典礼暦に応じて用いられる色です。

皆さんの目につくものは、司祭の祭服の色と祭壇上の朗読台に掛けられている朗読台カバーの色の変化でしょう。

司祭はアルバと呼ばれる白い祭服の上に典礼暦によって色が変わるカズラという祭服を着ます。

カズラの色は主に白・赤・緑・紫・黒の五色あります。

白は神聖さとともに喜びを表す色であり、降誕祭から始まる降誕節や復活祭から始まる復活節など、また聖母マリアの祝日や殉教者ではない聖人の祝日に用いられます。
“典礼と色 祭服の色の意味
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福音を家に持ち帰る
主任司祭 長崎 壮

長崎神父写真

次から次へと出現する新型コロナウイルスの変異株に悩まされている私たちですが、教会の暦は四旬節を迎えようとしています。

そしてこの緊張を強いられるコロナ禍にあって、信者ひとりひとりが「ともに歩む教会」の実現を目的とするシノドス(世界代表司教会議)のための意見を求められています。

質問票の各質問は、個人で答えるのは難しいものもありますが、仲間との分かち合いを通じて実りある意見を出し合うことができるはずです。

二月の壮年会でもこの質問の分かち合いを行い、有意義な意見交換の場とすることができました。 

参加者は七十代の方々が多かったのですが、「自分の子供たちが教会から離れてしまった」という嘆きの声もありました。 “福音を家に持ち帰る
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公開ミサ再開のお知らせ

枚方教会の信徒の皆様

+主の平和

大阪府における緊急事態宣言の解除および、カトリック大阪大司教区による新型コロナウイルス感染症にともなう措置(第17次)に従い、枚方教会では10月1日(金)より、公開ミサ(信徒の参加可能)を再開いたします。

主日のミサに参加する義務は、高齢者や基礎疾患をお持ちの方だけでなく教区内のすべての方を対象に免除されておりますのでミサに参加するかどうかは各自で健康管理をしたうえでご判断ください。

10月1日以降、枚方教会では以下のミサを公開で行います。

・主日のミサ(土曜19:00、日曜9:00・11:00)

・平日のミサ:火曜日(10:00)・木曜日(10:00)・初金および祭日(10:00)

・外国語のミサ

ポルトガル語:第1主日(15:00)、 英語 第2主日(15:00)

スペイン語:第4主日(15:00)

※なお、平日7:00のミサは当面行いませんのでご注意ください。

枚方教会では聖堂および信徒会館の抗ウイルスコーティングや換気等による対策を十分とっておりますが、枚方教会でミサに参加される皆様は従来通り以下のことにお気をつけ下さい。

1.手指消毒とマスク着用

2.一定の距離を空けて座る(紙コップの置かれた席にお座りください)。

3.ミサ中の発声をなるべく控える。

カトリック枚方教会 主任司祭 長崎 壮

すべてのいのちを守るための月間祈りを生きるように
主任司祭 長崎 壮

長崎神父写真

コロナウイルスの感染拡大がなかなか収まらない困難な状況が続いていますが、日本の教会では九月一日から十月四日までを教皇様の意向を汲んで「すべてのいのちを守るための月間」とすることになっています。

コロナ禍の中に生きる私たちは肉体的な生命だけでなく霊的な生命までをも脅かされていますから、いのちの尊さ・重さを考えるのにふさわしいときです。

霊的な生命を脅かすもの、それは現役で仕事をされている方にとっては明日の見えない不安であり、家族を守るための緊張感を継続的に強いられることです。

絶えず緊張感の中にいると人の心は枯れてしまい、生きる力を失います。

もうひとつは孤独です。

創世記の人類創造の箇所からは、「人は独りで生きるのではなく人との関わり・助け合いの中で生きるもの」として創造されたというメッセージが読み取れますから、創造の目的から離れた孤独な生き方はやはり人の心を枯らしてしまいます。

司祭として寂しさを訴える人と話すことが多くなった昨今、私は神学生時代の養成担当司祭の「寂しさを感じるということは、その人が温かい心、人間らしい心をもっているからです」という言葉をよく思い出し、かみしめています。

コロナ禍において、私たちが先ず思い出したいのは孤独の中で耐えている高齢者の方々のことです。
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各委員会活動の紹介と会員募集
-教会は私たちの家、皆さんの援助を必要としています-

枚方教会はこれまで多くの方の善意の協力のもと歩んできました。

聖パウロは、『コリントの教会への第一の手紙』十二章の中で教会を手や足をはじめ、様々な部分からなるひとつの体にたとえています。

枚方教会も以下に紹介するように様々な委員会や活動があり、それらによって枚方教会というひとつの体をつくっているのです。

しかしながら、近年では社会同様に枚方教会でも少子・高齢化が進んでいます。

今まで教会活動を支えてくださった方々には心より感謝の気持ちをお伝えしたいと思いますが、ここに枚方教会の明るい将来のために「自分にも何かできることは…」と思ってくださる若い世代の方(自分はまだ若いとお思いの方)の御協力をお願いする次第です。

特にここ十年以内に洗礼を受けられた方や他教会から転入して来られた方で、まだ委員会に入られていない方は、おためしとしていずれかの委員会や活動の扉を叩いて、自分に合った委員会や活動を探してみることをお勧めいたします。

信仰生活は祈りと活動の両輪によって一層豊かで実りあるものとなります。

(主任司祭  長崎壮)

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