コロナ禍の四旬節を歩む
春遠からじを信じて
主任司祭 長崎壮

長崎神父写真

「冬来たりなば春遠からじ」私が高校受験を控えていた正月に先生からいただいた年賀状に書かれていた懐かしい言葉です。

私たちはいまだ新型コロナ蔓延という厳しい冬の時期にいますが、それを遠からず乗り越え、今年中にはキリストの光に満ちた新しい世界を期待しています。

新しい世界と言っても、コロナ前のもとの世界に戻るのでは意味がありません。

コロナ禍を通して私たちが神様に向かって回心し、人と自然、そして生きとし生けるものに対する温かいまなざしをもってともに生かし合う世界です。

さて、教会の暦では復活祭の準備期間である四旬節に入りました。

昨年を思い起こすと新型コロナ感染拡大の時期が四旬節の始まりと重なり、四旬節第一主日から復活節の終わりまでミサが中止となるつらい体験をしましたが、このつらい体験から多くのことを学んだ私たちは皆が互いに気を配りながらも今年はどうにか御復活の喜びをともに祝うことができる見通しが出てきたようです。

ただ、ミサの形式はまだまだ従来の方法とは程遠く、オルガンも歌もない少し寂しいミサが当分続くと思われます。

昨年に続いて四旬節の黙想会も行うことはできませんが、皆さんには主日のミサを一週間の根本に据え、個人や家族での祈り、そして少数の友人とともにできる分かち合い等を通じてこの四旬節を霊的成長の期間にしていただけることを願っています。

そのためにミサで使われる『聖書と典礼』を最大限に活用していただきたいと思います。 “コロナ禍の四旬節を歩む
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聞いて寄り添う 特別な年の待降節に
主任司祭 長崎 壮

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今年は敬老の日にフリオ神父とともに車で奈良県の飛鳥に小旅行をしてきました。

稲穂が揺れる風景に包まれ、古代日本の原風景とはこうであったのだろうと想像しながら飛鳥寺、橘寺、川原寺跡、石舞台古墳と巡りましたが、最初に訪れた飛鳥寺では日本に現存する最古の仏像である飛鳥大仏がありました。

北魏様式という中国の影響を受けているこの仏さんの表情はいかにも福々しい東大寺の大仏とはだいぶ違い、細面でより人間的なお顔です。

興味深いことは、今まで見たどの仏像も共通しているのは耳が縦に長いことです。

耳が象徴的に大きく造られたことには、「自分の苦しみを聞き、わかっていただきたい」という仏さんへの人々の素朴な願いが投影されているように感じます。

聖徳太子の十人の話を同時に聞き分けたという逸話もこういった人々の思いから生まれたのかもしれません。 “聞いて寄り添う 特別な年の待降節に
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祈り、祈られ、支え合う
主任司祭 長崎壮

長崎神父写真

枚方教会の信者の皆さん、長い自粛生活を本当にお疲れさまです。

今年は私たちキリスト信者にとって最大の祝いである復活祭をはじめ、四旬節から復活節のほぼ全ての典礼と行事が空白となる異例の事態となりました。

信者さん同士の交わりの機会も失われ、心細さを感じながらの日々であったと思います。

そのような期間を耐え忍ばれた皆様に対してお掛けしたい言葉はやはり心からの「お疲れさま」です。

自粛期間中、教会に入る信者さんからの問い合わせではミサへの参加を待ちわびていることがひしひしと伝わってきましたが、ミサの中止が始まって間もなくの頃、電話でひとりの信者さんから「神父さんは、教会に行かない私のことを怒っていませんか」と問われました。

私はその人の心の清さに打たれましたが、「あなたをはじめ、教会に来ることができない全ての信者さんに代わって祈りますから、お辛いでしょうけれど今しばらく御自宅で辛抱してください」と答えるのがやっとでした。

専門家でさえも意見が割れる新型コロナウイルスの脅威を前にして牧者として全くの無力さを感じた瞬間です。

その一方で、公開ミサ自粛の間、個人的なお祈りで訪れる信者さんと話す機会もあり、「ミサの自粛を通じて、ミサの力の大きさにあらためて気づきました」という声や「これほどよく祈った期間はありませんでした」という声を聞いた時には私も勇気づけられました。

さて、目に見えない新型コロナウイルスの蔓延が私たちに示した〝時のしるし〟から私たちは色々なメッセージを読み取ることができます。

そのひとつ、この自粛期間中に私が度々思い出したのは昨年来日された教皇フランシスコが私たちに投げかけられた「すべての命を守るため…」ということばです。

神様からいただいた賜物である命、自分の命はもちろんのこと、大切な人の命を守るためには神様からのお恵みと同時に私たちの方からも会いたい人に会うこと、平常時であればできたであろう楽しみを犠牲として捧げる協力をしなければなりませんでした。
 
いまだ予断をゆるさない状況が続く中、私たちキリスト信者は互いに祈り、祈られ、支え合いたいものです。

相手のために祈ることも大切ですが、自分も祈られていることを感じる体験は信者の集まりである教会の絆を強固にします。

健康に不安を抱え教会に来ることができない方も沢山いますが、その方々の分までよく祈りましょう。

そして来られない信者さんの側も、枚方教会には自分のためにお祈りしている兄弟姉妹がいることを信じ、キリスト信者の連帯感を感じていただきたいと思います。

主日ミサ再開とミサ参加の地区割制導入についてのお知らせ

♰ 主の平和が皆さんとともに


カトリック枚方教会ではこのたび新型コロナウイルス感染症予防のための措置としての公開ミサ中止を解除し、主日の公開ミサを6月13日(土19:00)より再開することを決定いたしました。

しかし、この決定の後、各地でのクラスター(集団)感染の発生等、予断をゆるさないことに変わりがないため、信徒の皆様ひとりひとりの健康と安全を鑑み、一回のミサの参加者数を限定する必要に迫られ、急遽各ミサの参加者を地区割制にさせていただくことになりました。

なお、基礎疾患をお持ちの方、健康に不安をお持ちの方は、公開ミサ中止期間と同様に感染拡大が完全収束するまで主日ミサに参加する義務は免除されます。

引き続き健康に御留意のうえ、家庭でみことばの黙想や祈祷書を用いた祈り、ロザリオ等を通じて祈り下さい。

★土曜日19時からの主日ミサには地区割制を導入しておりませんので自由にご参加ください。

★6月16日より平日の火曜日と木曜日の10時よりミサを再開いたします(6月)が、このミサは主日ミサに参加できなかった人のためのものとします。

★第三主日9時から行われていたこどもミサは、場所をうみのほし幼稚園講堂に移して従来通り9時から行います。

★主日の外国語のミサ、ポルトガル語(第1主日15時)、英語(第2主日15時) ミサには変更がありませんが、スペイン語ミサのみ第4主日の15時と16時の二回行います。

※なお教会に行くことに不安をお持ちの方で諸秘跡をご希望の方は、司祭にご連絡を頂けましたら、ご家庭まで聖体を奉持するほか、病者の塗油、赦しの秘跡などもお授けすることができますので是非教会までご一報ください。


     2020年6月1日
 枚方教会主任司祭 長崎壮

主日ミサの地区割


6月14日より当面の間、以下の地区割に従ってミサに御参加ください。

A地区の方は8:30開始のミサ、 B地区の方は10:00開始のミサ、 C地区の方は11:30開始のミサにそれぞれ御参加ください。

皆が安全にミサに参加できるように、指定された地区以外のミサへの参加はお控えいただきますようお願いいたします。

【A地区】 8:30開始
枚方中央 枚方公園 牧野 招堤 片鉾・田口 御殿山 中宮・禁野

【B地区】 10:00開始
交野西 交野東 茄子作・釈尊寺 山之上・香里 宮之阪・村野 寝屋川・市外

【C地区】 11:30開始
八幡 松井山手 樟葉 長尾・津田・国道東 長尾西

御名を慕って歩み始めよう
主任司祭 長崎 壮

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駆け出しの会社員時代、仕事相手の人に名前を覚えていただいていることを知ったときはとても嬉しかったことを思い出します。当時の私にとって相手の名前をできるだけ早く覚えることが仕事のひとつでしたが、最近その能力が落ちてきているようでしきりに反省しています。

名前は人格の入口だと言われ、名前を知ること、相手を名前で呼ぶことでその人との親しさはグッと増します。

その意味で外国から宣教師として来られた司祭で日本人の名前を早く覚えられる司祭からは宣教師としての熱意が感じられ偉いなあと思います。

カトリック国と言われる国では洗礼名がそのまま社会の中の公の名前にもなりますが、日本をはじめ宣教国では多くの方が公の名と霊名(洗礼名)とふたつの名前をいただくことになります。

親は自分の子供に名前をつけるとき、我が子の将来の幸せを願い、期待を込めて名づけますが、信者の家庭であれば洗礼名をつけるときも同じ思いでしょう。

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人を生かす死 いのちの伝達
主任司祭 長崎 壮

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カトリック教会の典礼暦では十一月を死者の月としています。

日本では死者をお盆の期間に追悼しますので、枚方教会でも日本の習慣に合わせてお盆の期間に当たる聖母被昇天の祭日に死者追悼祈念ミサをお捧げしましたが、教会の死者の月も大切にしていただきたいと思います。

今年の八月は例年以上に暑さが厳しく枚方教会では葬儀が多く行われ、私たちの信仰の先輩方を天上の教会へと送り出したことは悲しいことですが、天国に旅立った親を見送ったご家族からは故人への感謝とともに、故人から引き継いだ信仰を大切にしていこうという気持ちが強く感じられました。

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出迎えるこころ 長崎壮神父

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クラレチアン宣教会の創立170周年にあたり、枚方教会では7月14日(日)に宣教について考え、特別に祈る日としてクラレチアンミッションデーという初めての試みを行いました。

これに先立つ11日から枚方教会には香港からの14名、レジデンスにはマカオからの19名の巡礼団を迎えて一週間を共に過ごすことになりましたが、ミッションデー当日の11時のミサは久しぶりに聖堂が人で溢れかえり、皆が心をひとつにして祈ることができたと思います。

今回枚方に迎えた巡礼者の人々ですが、ほとんどのカトリック巡礼ツアーが快適なホテルに宿泊し、バスで各所を移動する御時世の中、クラレチアン会の司牧する教会の雰囲気を感じたいという願いから教会の信徒会館で宿泊することになりました。

旅程も前の晩に参加者の体調を見ながら計画を立てるという日替わりだったため、迎える側としては戸惑うことも多かったのですが、戸惑うということはきっと私たちが計画を立ててそれを忠実に実行することで満足する生活に慣れているからなのでしょう。

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イエス様のおはようの声  長崎壮神父

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毎年復活の主日の朝になると、眠い目をこすりながらベッドの中で神様に呼びかける祈りがあります。それは「この日が心地よい晴れた一日でありますように…」という祈りです。

さいわい洗礼を受けてかれこれ三十年近くこの祈りはかなえられてきましたが、私たちキリスト信者の暦の頂点である復活祭、あらたな歩みのはじまりの復活の主日の朝がさわやかな春の日でありますように・・・との願いは多くの信者さんにとっても同じでことではないかと思います。

ところで御復活の朝、マグダラのマリアに掛けられたイエス様の言葉は「おはよう」というごく平凡なことばです。普段なにげなく使っている言葉ですが、この「おはよう」という言葉は、新しい一日の始まりの挨拶としてだけでなく、「お早くからご苦労様」と相手をねぎらう温かい意味もあります。

ですから一年で最もこの「おはよう」が耳に心地よく響くのは教会の新年度が始まる復活祭の朝であり、それが温かな日差しの朝であればあるほど御復活の喜びは格別になります。

さて、復活祭を機に司祭は新しい任地に派遣されることになりますが、私はこれまで四年間過ごしてきた枚方教会で今度は主任司祭としてあらたな歩みを始めます。

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気づかせることば  長崎壮神父

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故郷の家に帰省すると、姪や甥そして私の兄とともに必ず遊ぶゲームがあります。

「人生ゲーム」という四十年近く前からあるゲームで、すごろくの進化版のようなものです。参加者がルーレットを回してビジネスマン、教師などの職業につき、ゴールした時の資産額で順位が決まります。

小学生の高学年になった甥っ子は、ゲームの中で家族のほかの者がどのような職業につこうと、株でお金を儲けようと何も言いませんが、私がコマを進めてそこに書いてある指示を読み上げるたびに、「おじちゃん、神父のくせにそんなサイドビジネスを始めちゃっていいの?」等々の解説を入れます。

その解説を聞いていると、しばらく会わないうちに社会のいろいろなことを知るようになった甥っ子の成長が喜ばしく思えますが、キリスト信者でない甥っ子にとっても「おじちゃん=365日司祭」なのであって、ゲームという仮想世界の中でもそれは変わらないということにハッとさせられます。

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退行説をくつがえす  長崎壮神父

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現代社会はスピード社会で、待つことなく短時間で様々なサービスを受けることができます。
そういった生活環境の便利さが進めば進むほど私たちは「待つこと」が年々苦手になり、忍耐強く待つことなしにすぐに目に見える効果や結果を求める傾向にあることに気づかされます。
電子メールをはじめとするSNSの発達は便利でありがたいものですが、若い人の中にはメールを送った相手からその返事がすぐに返ってこないと不安になる人が多いそうです。こういった待つことが苦手となった現代人の心象を見るにつけ人類退行説を唱えたくなります。 “退行説をくつがえす  長崎壮神父” の続きを読む