聞いて寄り添う 特別な年の待降節に
主任司祭 長崎 壮

今年は敬老の日にフリオ神父とともに車で奈良県の飛鳥に小旅行をしてきました。

稲穂が揺れる風景に包まれ、古代日本の原風景とはこうであったのだろうと想像しながら飛鳥寺、橘寺、川原寺跡、石舞台古墳と巡りましたが、最初に訪れた飛鳥寺では日本に現存する最古の仏像である飛鳥大仏がありました。

北魏様式という中国の影響を受けているこの仏さんの表情はいかにも福々しい東大寺の大仏とはだいぶ違い、細面でより人間的なお顔です。

興味深いことは、今まで見たどの仏像も共通しているのは耳が縦に長いことです。

耳が象徴的に大きく造られたことには、「自分の苦しみを聞き、わかっていただきたい」という仏さんへの人々の素朴な願いが投影されているように感じます。

聖徳太子の十人の話を同時に聞き分けたという逸話もこういった人々の思いから生まれたのかもしれません。

さて、この飛鳥の体験を通じてカトリック司祭である私も人々の思いに謙虚に耳を傾け、その願いを神様に聞いていただけるようにとりなす祭司的な責任をあらためて自覚させられました。

今、新型コロナウイルスの感染拡大による不安から司祭のもとには信仰上、生活上の様々な相談が寄せられますが、そういった方々に対して説教じみたアドバイスをしてもあまり役に立ちません。

むしろこちらが黙って聞いているうちに再び立ち上がる方もいます。

このようなことを目の当たりにすると、この人が話しているのを神様は聞き、生きるための勇気と力を与えてくださったように思えます。

ところで人々の思いを心の耳で聞き、神様にとりなす祭司職という役割は司祭だけでなく、洗礼を受けた全ての信者が等しく与っていることを思い出しましょう。

謙虚に耳を傾ける、人ごとではなく共感をもって聞くということは相手の存在をありのままに受け入れていくということにつながります。

これから迎える待降節の間、皆さまにお願いしたいことは、ロザリオの喜びの第二玄義(マリアのエリザベト訪問)を唱える時にコロナ禍によって孤独感に苦しみ、人との絆に渇いている方々への霊的訪問をしていただきたいということです。

皆さんの身近にも祈りの中で訪れなければいけない人がいるはずです。

毎日ロザリオを唱える習慣のある方は、その日に黙想すべき玄義に喜びの第二玄義を付け加えてもいいでしょう。

マリアがエリザベトを訪問し、彼女の不安を解消し喜びをもたらしたようにこの霊的な訪問は特別な年となった今年の降誕祭にふさわしい準備になるはずです。