馬小屋の聖家族を見つめて
主任司祭 長崎 壮

枚方教会の皆さん、主のご降誕とともに新年の喜びを申し上げます。

主イエス・キリストの誕生をともに祝った降誕祭から教会の暦では降誕節が始まります。

その降誕節には「聖家族」や「神の母聖マリア」、そして「御公現」といった祝日があり、教会の一年の暦の中でも一番家庭的で温かな雰囲気に包まれます。

皆さんも年末年始は帰省などにより普段会えない家族で過ごす機会も増えることでしょう。

そのような家庭的な雰囲気の中にいる皆さんは、馬小屋の情景、そして幼子イエスの無垢な姿から今年あらたに心を動かされるような体験がありましたでしょうか?

毎年暦通りに繰り返される馬小屋への黙想は、ともすれば見飽きた映画やドラマのようにマンネリ化してしまいがちですが、私たちがそこから新たなインスピレーションを受け、年毎に幼子イエスへの親しみが増すとともに、家庭を守るマリアとヨセフの姿に倣い、愛において豊かになっていくことができればと願っています。

この馬小屋の幼子イエスと聖家族について、静養のためクラレチアンレジデンスに移られたフラデラ神父様は特別の思いを持たれていたようです。

経年劣化のため、ところどころ塗料が剥がれた枚方教会のマリアとヨセフを憐れに思われたようで、「枚方教会のマリア様とヨセフ様は関西医大で治療を受けられた方がよい」とおっしゃられ、聖堂の幼子イエスをくるむ布が薄いのを見られると、「イエス様が寒そうで可哀想だ。もっと温かそうなものを」と嘆かれていました。

こういった言葉も幼子イエスとその両親に対する細やかな愛情がないと出てこない言葉であり、私たちにとって黙想のヒントになるでしょう。

降誕節の間、枚方教会の信徒の皆さんも〝汚れなき悪戯〟として祭壇前の幼子イエスの像を抱いてみてもいいかもしれません。

無防備な幼子イエスの表情はまるで私たちに抱きしめられることを求めているようで、人の善意によらなければ生きることができない命があることを教えてくれます。

そしてまた、神の似姿である私たちの心の底に眠っている愛や善意に訴えかけるものがあります。

あの小さな馬小屋の出来事から愛と善意が広まっていったように今年一年、私たちから一人でも多くの人に〝インマヌエル・共にいて下さる主〟の温かさが伝わることを願っています。

枚方教会の聖家族の像は羊飼いや羊・牛も含めて診察と治療を受け、新たな姿で来年またお会いできることが評議会で決まりました。皆さん楽しみにしていてください。