わたしは、60歳半ばにもなる今でも母に対する愚痴を信徒に向かってこぼす。
その多くは、「母のエリート教育のおかげで自分の精神性はズタズタになり、こんなおかしな神父(というより人間)になってしまった」という内容のものだ。
齢を取ってくるにつれ、最近のできごとについては忘却がひどいのに、昔の思い出はあふれるようによみがえってくる。
だが、その中には母に感謝すべきこともあるのだ。先日はこんなことを思い出した。
まだわたしが小学生だったころ、ある寒いクリスマスイブの夜遅く、母とわたしたち兄弟は所属する町の教会で夜半のミサに与った後、最寄りの駅から自宅に戻るためにバスを待っていた。
バスがなかなか来ないので母はわたしたちを連れてタクシー乗り場に向かおうとした。
バスを待つ人の列の後ろに、見覚えある白髪で痩身の老人を見かけた。
母は、歩み寄って、「いっしょに乗りませんか?」と声をかけた。その人は、わたしたちと同じ集落に住む韓国人の老人で、一人で住み、リヤカー引いて廃品回収を生業とされていた。
タクシーを降りる時、その老人は自分の財布からお金を取り出し、運転手に渡し、母に決して料金を払わせようとしなかった。
その老人と別れてから、母は「あんな人のことを紳士と言うのよ。」とポツリとつぶやいた。
もう一つのクリスマスにちなむ母の思い出・・・。
教会にまだなんとか踏みとどまっていた中学一年生の師走に、成績の悪かったわたしは通っていたミッションスクールの担任の先生から補講を受けるように言われた。
ところが、指定された補講の日が教会のクリスマスの聖劇の練習日と重なってしまったのだ。
無理やりわたしに私学を受験させたくらいの教育ママの母だからきっと「教会を休んで、学校に行きなさい」と言うだろうとわたしは予測していた。
ところが、母は、案に反して、「学校の補講は休んで、教会の聖劇の練習の方に行きなさい」と答えたのだ。
聖劇も補講もどちらも同じくらい行きたくなかったわたしだが、意表を突く母の言葉には重みがあるように思い、わたしは教会に聖劇の練習をするために向かった。
結局、その後わたしはすぐに教会を離れ、クリスマスや復活祭も含めて十数年間も教会には行かなかった。
そうではあっても、いざと言う時に何を大切にして、どちらを選ぶかという、母の価値観と選択基準とはしっかりとわたしの心に植え付けられた。
母はわたしにすぐれた信仰教育をしてくれたのだと今になって思う。