木を捜して登る
ーザアカイ、急いで降りてきなさいー
助任司祭 昌川 信雄

この度、38年ぶりの教皇の日本訪問は、信仰者ばかりでなくメディアも巻き込んでの大行事でした。

『教皇のお通り』を一目見たさに、長崎へ、広島へ、東京へと先回りして木に登った「ザアカイ」たちには、真に恵みの場となったことでしょう。

一か月後には、教皇に代わって、主ご自身が全世界の一人ひとりを訪問される『降誕祭』です!

世界はこぞって「イエスのお通り」を一目見よう(?)と、それぞれの木に登る準備でしょうか。

街と商店はイルミネーションの、若者たちは恋人への、大人たちはパーティの、両親たちは子どもへのプレゼントの準備に心はずませるようですが、私たち信仰者は「待降節」の木に登るための準備なのです!

差別の闇の中にいたザアカイは、「イエスを見ることが出来ないもう一つの闇」を克服するために木に登る必要があったように、主を探し求めて荒れ野をさまよっている信仰者は、自分の心の闇を克服する木を捜さなければなりません。

待降節がそれを主の言葉で提供しています。


「清い心で、利己主義を捨てて私を愛し、私があなたたちに求める自己放棄のうちに、私を見つけなさい。

もう罪を犯してはならない。

悪を行うのをやめ、善をおこなうことを学ぶように。

正義を探し求め、虐げられている人々を助けなさい。

この荒れ野と不毛の地を歓喜させなさい。

あなたたちの生ぬるさに火をつけて、燃え盛る炎としなさい。

無関心を捨てて熱意に置き換えるように。

これらのことをすべて行いなさい。

こう言えるようになるために。

『私は贖い主を探し求め、そのお方を見出した。そのお方はいつも私の傍におられたのに、自らの闇が邪魔をしてその方が見えなかった。ああ、神に栄光!主は祝せられますように!これほどまでに盲目だったとは!』

そして私は、あなたたちが生きることができるように、私の指針を守り、宝のように尊ぶことを思い起させる・・・」(1989・7・8)


“今日はぜひ あなたの家に 泊まりたい ”