アベイヤ司教と行く 聖地巡礼の旅 助任司祭  昌川 信雄

空の人となった私は機内で、憧れつつ実現不可能と思っていた聖地(イエス様が生まれ育ち亡くなった地イスラエル)に今、確かに向かっているのだと言い聞かせていました。

テル・アビブ空港でガイド役の佐々木氏に迎えられ、バスは闇の中を宿泊地エルサレムへ。

夜が明ければいよいよ、これまで写真と想像だけで脳裏に焼き付けて来た景色を眼前にするのです。

夜が明けて私の目に入って来たものは、夢の中の感覚でした。

ふと、死んだら神さまの前でも、こんな感覚なのかとの思いがよぎるのでした。

最初に向かったのは「オリーブ山」。

主がエルサレムの町を眺めて嘆かれた「主嘆き給う教会」。

ここでアベイヤ司教と共にミサを奉げ、キドロンの谷を下って、神殿の丘へ。

城壁をくぐると、ダビデ、ソロモン時代の遺跡の上に建つモスク、シナゴーグ、教会群がひしめく。

        オリーブ山

遺跡の上に遺跡が建つエルサレムの丘の2000年に及ぶ歴史は「ビザンチン時代→ペルシヤ時代→アラブ征服時代→十字軍時代→クルド族サラディン時代→マムルーク朝(回教徒)時代→オスマントルコ時代→英国委任統治時代」

英国はこの時、ユダヤ、アラブ双方に自治権を認め、シオニズムとアラブ民族主義は完全に離反して現在に至っている。

         嘆きの壁

ユダヤ教がここに建てた神殿を、征服者が破壊し、現在その跡はイスラム教の寺院となって彼らの聖地となり、ユダヤ教にとっては、かつての神殿跡であるがゆえに聖地(嘆きの壁)であり、イエスがここで処刑され埋葬された「聖墳墓教会」を管理するキリスト教にとっても聖なる地。

私はイエスが辿った原風景を夢見ていたのですが、エルサレムで見たものは、宗教を持つ人々の政治的闘争の場、人間の所有欲の争いの現実でした。

エルサレムを後に、ベツレヘムから1200mの高低差を下り切ると、そこは海抜マイナス400m。

世界で最も深い地溝に位置する「死海」。

大気が白く霞んで見えるのは40度を超す灼熱の太陽が奪う水蒸気のせいか?

厳重注意を受けて死海遊泳を試み、クムラン、マサダの悲話を後に、これまた世界最古の町と言われるオアシスの町「エリコ」から「イエスの洗礼場所」を経て、待ちに待ったガリラヤ地方へ。

         ガリラヤ湖

過酷な荒れ野の中で沈黙した死海とは打って変わって対照的な生きた「ガリラヤ湖」の美しさに暑さを忘れ、イエスの後を捜してシャッターを切りまくる。

        山上の説教の教会
        山上の説教の丘

「山上の説教の丘」、復活の主が弟子に朝食を振舞った岸辺の岩のテーブルの上に建てられた「ペトロの首位権の教会」、マグダラに近い「パンと魚の奇跡の教会」、湖畔のレストランでは「ペトロの魚」も頂き、バスは北の町「ダン」へ。

         ペトロの魚

ここは背後にそびえるヘルモン山の雪解け水が、フィリポ・カイサリアの遺跡の下からこんこんと湧き出て、ヨルダン川を涸らすことがない源流の一つ。

ガリラヤ湖の生きた美しさの源はこの源流に依存しているという思いが胸に迫る。

      フィリポ・カイサリア
      ヨルダン川源流の湧き水

神が人類を育て、教育するために選んだ地を思う時、私にとってイスラエルを特徴づける三つの要素は 
①ガリラヤ湖、
②死海、
③荒れ野。

①ガリラヤ湖=与えられた子どもが、与えることが喜びとなる大人に成長した姿。
②死海=与えられるばかりで、与えることを学ばない死んだ人間の姿。
③荒れ野=自我に死に、神が導く教えに従う、「ガリラヤ湖」を目指す場。

語学に疎く、海外とは無縁な私に多大な犠牲を払ってこの「巡礼の旅」をゆるしてくださったパコ管区長ならびに会の皆様に心よりお礼を申し上げます。

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