更生の道
主任司祭 竹延真治

まだ枚方レジデンスに住んでいたころ、クラレチアン会の会議に参加される外国人の神父様を車で関西空港まで出迎えにいったことがある。

夜の飛行機で関空に到着したその神父様は、握手だけでなくハグまでし、親愛の情を示してくれた。

助手席に乗った彼は、緊張するわたしを和ませるかのように英語で話しかけてきたが、語学が不得手なわたしは早くこのお客様をレジデンスに送り届け、自室で一人になりたいとアクセルを踏んで帰路を急いだ。

途中、頭上で何かが赤く光ったことは覚えている。

そのすぐ後、転勤があり、今市教会に引っ越した。

まもなく、これこれのナンバーの車を何月何日の何時頃運転していた者は旭警察署に出頭するようにとの通知が旭区にあるクラレチアン会本部に届いた。

指定日時に交通課に行ったら、おまわりさんがわたしの顔と車のナンバーが写った写真を見せてくれた。

阪神高速を52キロオーバーで走行したとのことで赤切符を切られ、罰金八万円の略式命令と三カ月間の免許停止処分が言い渡された。出頭した簡易裁判所で順番を待つ人たちを見回した。「こんなところに来る奴はどんな悪質な顔をしているのだろうか?」という思いがわたしにはあった。

だが、そこで見た顔は、普通のどこにでもいるおじちゃん、おにいちゃん、おねえちゃんたちではないか?

それどころか、そこのトイレを借りて鏡で自分の顔を観察したら、一番目つきが悪そうなのはこのわたしではないか。

その後大司教様からの推薦をいただいて、刑務所の教誨師に任命された。

わたしの中には刑務所にいる人はどんな悪人面をしているのだろうかという先入観があった。

ところが、実際に受刑者の方々と関わってみると、少なくともわたしが出会った受刑者の皆さんは、教会の信者さんと何ら変わらないではないか。

いや、教会では居眠りしながらわたしの説教を聞いている人がいるのに、むしろ、刑務所ではみんな真剣にわたしの話を聴いてくれている。

自分の中にある差別と偏見に愕然(がくぜん)とした。

最近、わたしは思う。

自分は神父である以前に普通のカトリック信者としても全くなっていないではないか。

それどころか、普通の一人の人間としての修養さえ何もできていないではないかと。

このたび、カトリック枚方教会の主任司祭に任命された竹延真治(たけのぶしんじ)です。

これから枚方教会の皆様とのかかわりで少しはまともな人間に更生したいです。

どうか御協力をよろしくお願いします。