再宣教150周年 教会巡礼

「再宣教150周年の巡礼」として指定されている兵庫県の4つの教会を、9月24日(月)枚方教会の23名で巡礼してきました。

枚方駅ホームに8時半に集合し、電車を乗り継ぎ、阪急夙川駅から歩いて約5分で夙川教会に到着。直ちにきれいな聖堂内に入りお祈りをした。突然の訪問にもかかわらず、事務所の方から集会所で、お茶、コーヒー、お菓子の接待を受け、最後に聖堂前で集合写真を撮っていただきました。 “再宣教150周年 教会巡礼” の続きを読む

枚方香里合同黙想会

去る9月22日に、恒例の合同黙想会が行われました。今年で第19回となるそうです。
枚方教会、香里教会双方併せて34名の方に参加頂きました。今回の指導司祭は、枚方教会のハイメ神父様で、テーマは、あなたの信仰を誰にどう伝えますか?と言うことで、フランシスコ教皇の使徒的勧告福音の喜びの1章から、それに触れた部分を抜き出し、約30分話されました。

その内容について各自で10分ほど黙想し、さらに深めるために、今回は、6組に別れて約1時間の分かち合いの時間を持ちました。分かち合いを始めるきっかけとして、簡単なヒントを提示しました。
・自分の信仰をどのように感じていますか?
・ほかの人に伝える内容として、何を伝えたいですか?
・その内容を、誰に、どのように伝えたいですか?
この3つの問いかけについてまず各自で考えていただく形式をとりました。 “枚方香里合同黙想会” の続きを読む

病者の塗油の秘跡

9月16日(日)、敬老のお祝い対象者である75歳以上の方で、希望された53名に対して11時時のミサの中で「病者の塗油の秘跡」が与えられた。

ミサの司式をされたハイメ神父より、その日読まれた福音の大切な部分として、キリストは弟子たちに、私は何者であるかという問いかけをしているが、敬老の日を迎える方々にとっても、キリストはあなたにとって何であるかを考えて欲しいとの説教をされた。 “病者の塗油の秘跡” の続きを読む

神の平和を求めて( 日本キリスト教団 森小路教会牧師) 河北朝祷会より (2018.9.13 第213回)

毎年この時期になりますとあの9・11の出来事を思い起します。またカトリックでは礼拝に平和の挨拶をされているようですし、この朝祷会でも毎回平和を求める祈り(アッシジの聖フランシスコ)を共に祈ります。それゆえ今朝は平和について皆さんと一緒に考えたいと思います。 “神の平和を求めて( 日本キリスト教団 森小路教会牧師) 河北朝祷会より (2018.9.13 第213回)” の続きを読む

Brasil- Comunidade Brasileira(ブラジル共同体)

Setembro: mês da Bíblia
Em setembro, recebemos um belo convite da Igreja no Brasil: olhar com mais carinho para a Bíblia, fonte de nossa fé. O mês de setembro foi escolhido fazendo memória a São Jerônimo (celebrado no dia 30), que traduziu os textos sagrados do hebraico e grego para o latim. O sopro do Espírito, no Vaticano II, trouxe novos ares na leitura da Palavra de Deus na Igreja. Até então, a Bíblia não era nem traduzida para outras línguas, tinha somente a versão oficial em latim.
Como bom filho do Concílio, o mês da Bíblia foi inspirad “Brasil- Comunidade Brasileira(ブラジル共同体)” の続きを読む

すすんであかりをつける  長崎壮神父

長崎神父写真

8月15日にカトリック教会が祝う聖母の被昇天の祭日はおりしも第二次大戦の終戦記念日と重なっています。

そしてこの日が近づくと毎年、私の頭にはひとつの思い出がよみがえります。
昭和ひと桁生まれで、青春期に勤労動員に駆りだされ、空襲を受けた経験をもつ亡父は毎年この日になると学徒兵の日常を描いた阿川弘之著の『雲の墓標』という小説を読み、家族そろって昼食にすいとんを食べるのがお決まりでした。

終戦記念日の父の心中を察するに、きっと多くの可能性や未来を持ちながらも命の花を咲かすことなく戦争の犠牲となった若者への哀悼の心を父なりに表現したかったのではないかと想像していますが、それを引き継ぐように今でもこの日がくると、ふるさとの家の仏壇の閼伽棚(あかだな)にはすいとんとともにこの小説を供えてつつましく過ごすのがならわしとなっています。

戦争体験のない私にとって物心つく頃から、両親をはじめ辛い戦争体験を持つ平和の大切さの語りべが身の回りにいたことは幸いでしたが、司祭となって平和旬間行事に毎年向き合うことになると、キリスト者にとっての平和についてあらためて考えさせられます。 “すすんであかりをつける  長崎壮神父” の続きを読む

焼き場で順番を待つ少年 (寄稿者 Y.A)

この写真は、終戦直後アメリカの従軍カメラマンだった故ジョー・オダネル氏が長崎へ来て、焼き場で亡くなった弟を焼いてもらうために順番を待っている少年を撮ったものです。田上長崎市長がバチカンを訪れ、この写真をフランシスコ教皇に親書に添えて渡した。教皇は写真をご覧になって、胸を打たれ「このような写真が千の言葉より多くを語る」と言われサインされました。
この夏から国内の教会で配られ、皆さんも手にされたと思います。

73年前の私と少年とが重なる部分があり、これを分かち合いたいと思います。 “焼き場で順番を待つ少年 (寄稿者 Y.A)” の続きを読む