10月8日、今市教会にカリタス南相馬スタッフによる「福島原発被災地の現状、復興のこれまでと課題」のテーマのお話に北地区及びガールスカウト等の90人が参加した。福島は何年も前ということで世間ではもう済んだ事のように言われている。なぜ今も支援を続けるのかと。
福島、特に東側3分の1の浜通り地域は他の災害とは質的に違っている。阪神大震災は都市ということもあり、数年の内に復興した。東北でも津波の被害があったにせよ、人が戻り、町を高台に移したり、防潮堤を作ったりと生活再建にすぐに取り組めた。しかし、浜通り地区は条件がまるで違っている。今も人が入れない場所がある。
原発事故によって帰れない時間が長かった。放射線の問題から避難地を転々とし、家族がバラバラになり、仕事も生活も崩された。住むことができる地域も事故当時のまま。がれきとなり、荒れた家が目の前にある。
南原さんは福島の仮設住宅や復興住宅等で自死が増えていることから南相馬に派遣された。
県内避難者が3万4千人、県外避難者は1万6千人。家族もバラバラになり、若い層はそれぞれの生活のために帰れない。除染がすすめられた地域に帰ったのは3分の1、大半が高齢者である。避難先に住む人も風評(放射線や補償などの根も葉もない話など)から福島出身ということを隠している。近くに残った人も仮設住宅の打ち切りからマンション形式の復興住宅などへ移った。コミュニティーは崩れ、絶望感、喪失感、孤立感からくる鬱、PTSD、生活習慣病、それらが自死を引き起こしている。
何キロ圏内は避難、屋内待機等というが、例えばここ、大阪で自分の家が原発から何キロ離れているか、わかる人がいるだろうか。あるいは主要水源の琵琶湖が原発から何キロ離れているか、答えられる人がいるだろうか。事故の時、事情のわかる人はいなかった。行政も状態を把握できなかった。二、三日で帰れるとバッグひとつで出た人もいた。7年経っても帰れない。何も終わってはいない。継続中の災害なのだ。
ガールスカウトの大阪134団は福島に花の種を持って被災地訪問を続けている。
東北百円募金の「やさい畑」への支援は、これら孤立した人、生活困窮した人を見守り、訪問し、つなぐ活動に使われている。農家復興支援だけではない。北地区もいろいろな方法で支援を続けている。
あたりまえの生活、あたりまえの日常を取り戻す手伝いをする。
これは福島だけの話ではない。一番弱い所に私達の問題が目に見える形で現われる。国内難民の立場、これは明日の私達も同じだ。