四旬節の黙想会

3月17日(日)、枚方教会出身で現在は東京にて活躍中の梅﨑神父様を迎えて、四旬節の黙想会が行われた。神父様は11時のミサの司式をされると共に、黙想会の前段としての説教をされた。

午後1時からは講話があり、親しみやすいお話に、信徒は和やかに楽しく聞き入った。 

幼少のころから青年期までを枚方教会で過ごされた神父様は、その当時の日々の思い出と、出会った神父様方による心の成長、そして神父となってからの体験が、ご自分にどんな影響をもたらしたかなどについてユーモアたっぷりに話された。そして「神様に救われている日々」であり「神様は人間が好きだ」と強調された。

これは私の愛する子  F・K

主が、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」とイエス様について言われた言葉と同じように、神様は私たち一人一人を愛して下さっておられます。

この主の思いを梅﨑神父様は、ご自身の様々な喜びや苦しい体験も神様と共に過ぎ越し、今は恵みとなっているということを、わかりやすく語って下さいました。

昨年から私は、3ヶ月毎に日曜出勤のある職場に転勤となり、1年の半分は、日曜日の教会活動がこれまでのようにできなくなりました。転勤のことよりも日曜日の出勤によって神様から少し見離された気持ちになっていました。

しかし、黙想会とゆるしの秘跡によって、私も主から愛されそして自分も主の愛に応えることによって日々主と共に歩めることのできる恵みを確信できたことに感謝します。

若者を教会へ    O・H

今回の講話では、梅﨑神父様が幼い頃に枚方教会で頂いた恵みについての話を中心に、司祭としての人生をどのように歩んで来られたかを知ることができ、非常に貴重なお話しを聞かせていただけたと思います。

小学生のときには、夏休みに教会のプールで遊ぶために朝のミサに行っていたという話を聞きました。その時、私が夏休みに毎日朝のミサに行って、その後に梅﨑神父様がキャッチボールをしてくださった日々を思い出しました。そして、こうして遊んでくださったのは『教会は組織ではなく家族』であるという梅﨑神父様の考え方をまさしく体現されていたのかな、と思いました。

子供や若者たちにとって教会が自分の拠り所になるために、司祭を含めた教会の人々が家族のように接するというのは、昔も今も変わらない形なのかもしれません。

ミサというのは、キリストの死と復活を思い起こし、キリストを通して実現した救いの恵みに感謝し、パンとぶどう酒のしるしによってキリスト信者がキリストと一つに結ばれる、カトリック信者にとって最も大切な秘跡です。このことをきちんと説明すれば、若者であっても「あぁ、ミサってそんなに大事なものなのか。それなら俺も毎週日曜日くらい教会に行かないとなぁ」となるはずなのです。少なくとも私は、父母から神様の偉大さやミサの大切さを学んで、23年間ずっとミサに通い続けて来ました。

ミサがどれほど神聖なもので大切なものなのかを、時間をかけて教えることが、若者の教会離れ問題への解決策の一つなのではないかと思います。

そのためには、やはり司祭を中心として、教会に来ている私たちが神様のことを若者に教える義務があるのではないかな、と考えさせられた今回の黙想会でした。

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