イエス様のおはようの声  長崎壮神父

毎年復活の主日の朝になると、眠い目をこすりながらベッドの中で神様に呼びかける祈りがあります。それは「この日が心地よい晴れた一日でありますように…」という祈りです。

さいわい洗礼を受けてかれこれ三十年近くこの祈りはかなえられてきましたが、私たちキリスト信者の暦の頂点である復活祭、あらたな歩みのはじまりの復活の主日の朝がさわやかな春の日でありますように・・・との願いは多くの信者さんにとっても同じでことではないかと思います。

ところで御復活の朝、マグダラのマリアに掛けられたイエス様の言葉は「おはよう」というごく平凡なことばです。普段なにげなく使っている言葉ですが、この「おはよう」という言葉は、新しい一日の始まりの挨拶としてだけでなく、「お早くからご苦労様」と相手をねぎらう温かい意味もあります。

ですから一年で最もこの「おはよう」が耳に心地よく響くのは教会の新年度が始まる復活祭の朝であり、それが温かな日差しの朝であればあるほど御復活の喜びは格別になります。

さて、復活祭を機に司祭は新しい任地に派遣されることになりますが、私はこれまで四年間過ごしてきた枚方教会で今度は主任司祭としてあらたな歩みを始めます。

現代の教会の問題として枚方教会だけでなく日本中どこの教会でも青少年や働き盛りの壮年信者の足が教会から遠のき教会が力を失っていることが指摘されています。
そのことは経験不足の私にとって戸惑いでもあります。

しかし復活の光に照らされ、主イエスの「おはよう」の声を神様からの「さあ、新しい一日をはじめよう」との励ましと受け止めることができた今はそのような問題が見えても悲観的に捉えず、皆さんと共に将来を創り出す希望に燃えています。

復活の恵みは希望をもって未来に向かって再び歩みだすことであり、私たちにとって復活のキリストと共に生きるということは日々の生活の中で暗夜の体験をしてもそれらはいずれ過ぎ去っていくものだということに確信をもって生きることだからです。

これから始まる枚方教会の新たな歩みのはじめにあたり、復活のイエス様の「おはよう」のさわやかな声が皆さんひとりひとりへの励ましとして響くことを祈ります。そして希望に溢れた一年をともに歩み始めましょう。