〔ヨハネによる福音書20章19~23節〕
先日、5月6日、わたしの母教会の(改革派)広島教会で、新会堂の献堂式があり、わたしも出席をゆるされました。その途中、4月にリニューアルされた広島平和記念資料館に立ち寄りました。
1981年2月25日、教皇ヨハネ・パウロ2世が広島を訪問されたことを思い起こします。当時在学(中学3年生)していた広島学院では、通常授業は休みになって、全校総出で平和公園へ行きました。そこで、「戦争は死です。戦争は人間の仕業です」との日本語のメッセージを聞いたことをよく覚えています。それは、わたしにとって、非常に強烈なメッセージで、心に残り続けています。
ちなみに、わたしの受洗場所は、(改革派)広島教会で、その当時、爆心地から500メートル程の位置にあった広島YMCA保育所のプレハブ小屋。米国南長老教会ウィントン・エンロー宣教師より。1965年の事でした。
この5月この国では、天皇代替わりを迎え、「天皇制反対」、「天皇の戦争責任はまだ残っている」との声を上げる方(わたしたちの教派もその立場に近いですが)も、少数ながらおられます。
数年前、同じく平和公園を訪れた米国のオバマ大統領は、よくリスポンシビリティ(責任)という言葉を口にされました。今日も、わたしたちはここから出て行って、神様の御前に、召しと責任を果たそうとしています。
イエス・キリストは、復活の日の夕方、弟子たちの真ん中に現れました。この時、弟子たちは、ユダヤ人を恐れて、鍵をかけて、家の中に閉じこもっていました。イエス様の最初のメッセージは、「あなたがたに平和がありますように」でした。当時の挨拶の言葉、「おはよう」であり、また「シャローム(平安あれ)」です。
それは、傷つき、怯え臆する弟子たちにとって、いやしの言葉であり、また、慰めの言葉でした。また、それは、(改革派神学において)教理的には、全的不能、全的堕落と言いますけれども、神様の言うことに従うことのできない不能をかかえた、わたしたちの心と魂を(聖霊の御力によって)根底から変える、いのちのメッセージです。
『神の家族400年~浦上小教区沿革史』(1983年浦上小教区編)で「(前略)日本のキリスト者の各家庭が、真に『家族の教会』であるようお勧めします。すなわち、そこで神への感謝と賛美がなされ、神のことばが開かれ、その掟が守られ、信仰教育が行われ、兄弟的愛徳と相互の奉仕がなされ、他の人々、特に貧しく困った人々にいつも心が開かれている、そんな場所であって欲しいのです」と、教皇ヨハネ・パウロ2世のメッセージが記録されています。まったく、「アーメン」です。
全キリスト教会共通の第一の課題は、家庭であり、家庭教育であると思います。「あなたがたに平和があるように」との、イエス様のメッセージにおいて、心を一つにし、祈ることへと導かれているように、家庭の中で一人孤軍奮闘しているようなキリスト者も、また、家長たる者たちも、神との和解、神との平和という、どのような試練をも克服して余り有る、救いの希望を一つにしながら、今日の召しと責任を果たす者でありたいと、復活の主を信じます。