いつも苦しみから逃げていると、 幸せからも遠ざかる フリオ神父

梅雨の晴れ間からは、真夏を輝かせる太陽が続いていますが、枚方教会の皆さん、お元気ですか。気温の上昇とともに、水分補給と自己管理を行い、健やかに過ごされるように願っております。


さて、私は、8年ぶりに『グアダルペ』の巻頭言の担当に当たって、今回は、「いつも苦しみから逃げていると、幸せからも遠ざかる」という日本の諺について、少し振り返ってみたいと思います。


では、なぜこの諺を選んだのか。どうして聖書の個所ではなく、仏教の言葉を引用させてもらうのかと言いますと、実は、何年か前、お寺の看板に書いてあり、読んでみたら、深く心に響いたのです。


「いつも苦しみから逃げる」というのは、正直、人はみな、よくあることです。人はみな、当然、何よりもまず、幸せの方を選び、できるだけ、それに向けて、懸命に勉強したり、人と関わったり、財産を集めようとしたりします。

「苦しみにする」なんてとんでもない。自分の計画の中、そういったものって、ありえないことでしょう。もちろん、それよりも、利益、気楽、安らぎ、幸せ、楽しみの方を選び、頑張って生きています。

ですから、人は、基本的に、苦しみから逃げるという傾きを認めざるを得ません。


しかし、仏教においても、キリスト教においても、いつも苦しみから逃げていると、何だか、本当の幸せ、真のいのち(復活)から離れ、遠ざかることを語っているのに気付きました。


マタイによる福音も、山上の垂訓でのイエス様が、「悲しむ人々は、幸いである」とおっしゃっています。宗教観が全く違い、不思議に思いますが、苦しみ、悲しみの中を過ごすとともに、人の目に見えないけれど、恵み、祝福、真理、学び、成長、深い幸せにつながるものがあるということです。


毎日、我々キリスト者は、キリストの過ぎ越しを思い起こすミサを行っています。「いつも苦しみから逃げていると、幸せからも遠ざかる」ということわざを心に留め、キリストの苦しみと私たちの苦しみを共にして、逃げるよりは、勇気を出して、地上でも主キリストが約束された本当の幸せに向かって、日々、信仰生活をおくることができますように努めていきましょう。

“いつも苦しみから逃げていると、 幸せからも遠ざかる フリオ神父” への1件の返信

  1. Buenas noches,Padre Julio.
    Muchas gracias por tu mensaje…
    Me parece que es muy interesante para mi.

    ①日本に伝わった大乗仏教は、お釈迦さまが教えた仏教(上座部仏教)とは、随分、異なっているそうです。
    実際、私は、タイやラオスで、上座部仏教の僧侶の方達を何人も見かけましたが、日本の僧侶の方達とは、随分、雰囲気も異なっていました。
    ②大乗仏教は、日本に到着する迄に、キリスト教やその他の宗教に出会い、沢山、吸収してから、日本に、入ってきたそうです。
    仏教には、キリスト教や他宗教を吸収する懐の深さがあったという事だろうとカトリックの施設でチャプレンをされている神父さまに、教えられました。
    ③茶道の千利休は、カトリックのミサの司祭達の動きを見て、茶道に取り入れたと、聞いております。
    ④明治時代、日本に来られたポルトガル人の宣教師は、茶道の美しさに魅了され、本国への報告書に、そうした内容を書かれていたそうです。

    こうした歴史を知るにつれ、Padre Julio が、日本の仏教寺院の掲示板の教えに共感されたのは、ごく自然なことだと思えます。
    また、カトリックの宣教師であるPadre Julioが、他宗教を頭ごなしに否定せず、排除せず、謙虚に学んでいかれる姿勢に、私達信徒も見倣い、御国が来ますようにと祈りたいと思います。

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