四旬節黙想会 2月18日(日)

四旬節第1日曜日に四旬節黙想会を行いました。

指導は当教会の梅﨑神父にお願い致しました。

梅﨑神父はここ最近葬儀を依頼されることが増え、ここから死について考えてお話してみようと思われたそうです。

もちろん自身が死んでみた事は無いし、またいつ死ぬかは分からないので、生きている人が死についてどういう理解を持つかと言う事を考え、その考えが生きている人にどのような影響を与えているかを知る事でより豊かに生きる事が出来るという事をお話しされました。

まずは古今東西の様々な伝承や神話、物語の中の死と生きると言う事の例を挙げられ(エトルリア人の副葬品と扉、デーモンの発祥、ギリシャ人の黄泉の国とそこでの蘇り話、日本の古事記のイザナギとイザナミの話など)さらに日本人の死生観やユダヤ人の話等された後に旧約聖書のヨブの話、さらに創世記の善悪の知恵の木の実の話をされました。

神様に食べたら「死ぬ」と言われた木の実を食べても肉体的に死んだわけではなく、命を与えてくれた神様との縁が切れる。

その事が死ぬと言う事であり、人は生きながらにして死ぬ可能性がある。

そこから回心する事で、神様との関係に立ち戻るしかなく、それは神様自身が手を差し伸べて下さらないと実現できない。

そこで神様はイエス・キリストとして私たちの世界で共に住み、死に、神のもとに帰られた。

それは人間である私たちも神様と聖霊と共に生きる事で、同じ様に生きる事が出来るという事を示されたという事です。

既に復活祭も終わりましたが、これらの事も心に留め、日々過ごしたいものです。

(宣教委員会 S)