幼少期の思い出の神戸東灘
使徒ヨハネ S・S

だいぶ前にこのページを頼まれて断れず、ああでもないこうでもないと悩んでいたら、あらら、締切り過ぎちゃったじゃありませんか。

さて、これを書いている前の週に60歳の誕生日を迎えた私が生まれたのは、そんなに遠方ではなく神戸市東灘区です。

阪急電車の岡本駅と住吉川の間で、すぐ近くに甲南大学のある所です。

私の父は六甲中学・高校で学び、在学中に私の祖母と2歳上の伯父と受洗し、母親も結婚をきっかけに故郷の九州の飯塚で洗礼を受けたそうです。

私が産まれたのは、灘の神戸海星病院です。
 
昨年末の黙想会で講師の沼野さんから「あそこは今、警備会社の経営する病院」と伺ってびっくりしました。

その神戸海星病院で産まれてすぐに、当時住吉教会におられたベロウ神父様が来られて洗礼を授けられたそうです。

なので、信者歴60年と言いたいところですが、よくある中高生から教会へ足が向かわないパターンで、19年前に枚方にやって来てようやく、再び信仰を考えました。

甲南大学がすぐ近くにあって、正門入ってすぐの創立者の銅像の辺りでよく遊んでいました。

一緒の敷地に叔父一家が祖母と住んでおり、我が家は同じ敷地に小さな家を立てて住んでいて、日曜日には、皆でそろって住吉教会のミサに与っていた筈です。

小さすぎてあまり覚えていないのですが。

幼稚園はそのまま住吉教会に併設されていた(今もそうですね)、星の園幼稚園に3年保育で通いました。

阪神大震災以降建て替えられて変わってしまいましたが、奥にルルドを模した泉と聖母像があり、そこは何か少し厳粛な雰囲気を感じたりしたものです。

行きは市バスで行っていたと思うのですが、帰りは歩いて帰ることもありました。

国道2号線迄幼稚園から上がって行き住吉川を渡った所まで国道2号線沿いを歩くのですが、途中模型屋さんが有って、そのショーケースに飾ってあった200分の1の戦艦大和(1.3mあります!)の完成見本をいつまでも眺めて動かず、母を困らせていました。

住吉川を渡り川沿いに阪急線を目指します。

今でこそ住吉川両岸は散歩道になっていますが、当時は大型ダンプがひっきりなしに東側は下り、西側は登りで走っていました。

いわゆる「山、海へ行く」で浜の方の埋め立てを行っていました。

阪急線を越えると、後はしばらく東へ歩くと着くのですが、今歩いても結構時間かかるのに、子供にしては当時よく歩いたなと思います。

神戸には小学校1年生のゴールデンウィーク迄居て、西宮へ引っ越して仁川教会に移ったのでした。