2025年10月に開催された芋ほり合宿、参加してくれた子どもたちの内、お泊りをした子どもは、全て男の子でした。
日中に運動させ、疲れさせ、ぐっすり眠らせようと考えていたのですが、就寝時間を過ぎても、布団の上で大はしゃぎ。
子どもたちが寝不足になっては可哀そうなので、まずは布団に入ってもらうと考えました。
そこで怖い話をして眠らせる作戦を敢行しました。
「お話をするからお布団に入って」とお願いすると、みんな言う事を聞いてくれます。
いつもはやんちゃな子どもたちが、時折見せてくれる真面目な姿は可愛らしく、愛おしいものです。
子どもたちはお話を聞くのが好きなのだけど、質問好きであることも然り。なかなか寝てくれません。
やがて一人の子どもから「怖い話で終わったら、怖い夢を見そうだから、楽しい話で終わって欲しい」と頼まれました。
怖い話が原因で、布団の上に宝の地図を作成されても困るので、とっさに思い浮かんだイソップ物語の「キツネとぶどう」のお話をしました。
お話が終わると今度は別の子どもが「イエス様のお話をして」と言うので、イエス様のお話しを始めたら、子どもたちは一瞬で寝てしまいました。
ミサの間だけではなく、子どもを寝かしつけるために説教が有効であることを体験し、ショックは隠せませんでしたが、暗いので動揺している姿を晒すことにはなりませんでした。
気が付けば、イエス様の話をお願いした子どもの頭は私の膝の上。
子どもを起こさないように、移動するにはどうしたらいいのかと闇の中で悩みながら、膝と枕を交換し、無事にその場を去ることができました。
イエス様の質問をしてくれた子どもは「5時に起きる」と張り切っていましたが、全ての子どもは起床時間の6時までぐっすりでした。
ぐっすり眠っていると思っていた子どもの一人は、ミサの後「イエス様が生まれた時にやってきた博士たち、3人ではなくて何人来たのか、本当は判らないんだよ」と母親に報告しているのを目の当たりにしました。
どうやら、睡眠学習法を取っていたようです。
子どもが寝ているからと、うかつなことを口走ることは危険であるということを私も学習いたしました。
子どもの頃、妹を寝かしつけるために適当なお話をしていたら、妹たちの目が冴えて「それでどうなったの」と質問攻めに遭い、しかしこちらが眠たくなってきて、とうとう「あんたたち、いつまでやってるの」と母親に怒られてお話が終わったことを思い出しました。
人生の些細なやり取りの中で、人は永遠の神の愛を知ることになるようです。

