今から約30年前、枚方スイミングスクールの近くのワンルームマンションで独り暮らしをしていた頃、神を崇める「エホバの証人」の方々と出会いました。
彼等独自の伝道方法である「手当たり次第個別訪問」で神の名を知らされ、彼等が持つ小冊子を読み耽る日々でした。
数軒の家庭で手厚くもてなされることもしばしばありました。
彼等は夫婦仲・家族仲が良く、私も将来このような家庭を持ちたいと思うようになりました。
しかし当時私はいわゆる「ブラック企業」に勤めるサラリーマンで、毎日の仕事に追われ、生きる気力が心身共に蝕まれ、信仰どころではなくなってきました。
結局会社を転々としたものの、ついに心が壊れてしまい、高槻市内の実家に引き返して数年間の療養生活を余儀なくされました。
高槻の実家でもエホバの証人の方々の個別訪問があり、彼等の言うところの「聖書研究生」となりましたが、心身の回復の道半ばで、ほとんど惰性で彼等のテキストを読むに終始していました。
彼等の集会にも何度も出席しましたが、皆眼が死んでいました。
「喜びに満ち溢れている」という言葉からはほど遠い、信仰のために全てを諦めた表情でした。
そうこうしている内に、後になって破局した妻と知り合い(恥ずかしながらバツイチで、今は独身ですが、当教会登録上は「既婚者」となっています)、再度枚方・牧野に転居し、婚姻届一枚の結婚生活に入って、エホバの証人の方々による「聖書研究」は事実上なくなりました。
協議離婚後も私は枚方・牧野に居残り、近所にあったプロテスタント教会に出入りし、洗礼前教育を受け授洗に至ったのですが、私に洗礼を授けた牧師が地元を離れて一人で伝道活動をすることになると、担当牧師が変わるごとにそれぞれ言うことがころころ変わるのです。
それに伴って一人二人と礼拝者が減り、当教会と同じ二部制だった礼拝も一部だけになりました。
他のプロテスタント教会にも足を運びましたが、献金が少ないと「神のものを盗んでいる」と言われ、「根無し草」とも言われました。
私は、神を崇めているのか牧師を崇めているのか分からなくなりました。
キリスト教に幻滅した私は五年前に今住んでいる障害者施設に転居しましたが、心のどこかに神の救いと慰めを期待していました。
自転車置き場を確認するだけのつもりでほろほろと当教会に足を運んでみると、英語のミサが行われていました。
英語のミサなので何を言っているのか分からないのですが、例えようのない安心感を覚えました。
新型コロナウィルス流行を挟んで、聖堂の端っこに座って不定期にミサに出席していましたが、梅﨑神父の説教がきっかけとなり、信徒の皆様のご支援と竹延神父のキリスト教入門講座一年の受講を経て、今年のイースターで再度洗礼を授かり、洗礼名を名乗る運びとなりました。
竹延神父が仰ったように、先のプロテスタント教会での洗礼が有効かどうかはイエス様が判断されます。
当教会のミサに出席される方々は皆元気で若々しく、卑屈ではなく謙遜です。
聖書にある通りに喜びに満ち溢れて互いに仕え合う姿を見て、私は神と出会いました。
