枚方教会を訪ねたのは、今から三年前、秋のバザーの時でした。
母がパッチワークの出店準備をするので、お手伝いに行きました。
その二日間は、皆様の優しさ、誠実さに触れて、とても穏やかな気持ちになりました。
今思えば、これが、「わたしに従いなさい」と神様に導かれた出来事だったのかもしれません。
私がカトリック教会の信者になりたいと思ったのは、父の死後、母のそばにいるようになったからです。
母のことを少しお話させていただきたいと思います。母は、昭和七年生まれ。七人兄弟姉妹の長女で幼児洗礼者です。
祖母は大変祈りの深い人で、母は毎日お祈りをしないと遊びに行けなかったそうです。
時は食糧難の時代。
結核を患っていた祖母は長い闘病の末、母が十三歳の時、三十六歳の若さで亡くなりました。
残された幼い妹たちの世話や家事をすることで、学校には行けなかったそうです。
今で言うヤングケアラーです。
そのことはほとんど語りませんが、冬になると自分の手を見て、当時、しもやけで皮膚が崩れていつも包帯を巻いていたと話をしてくれます。
母は夜学に通いながら、家を助けました。
そんな中にあっても、教会で祈りました。
教会に行くと、亡くなった「お母さん」に会えるような気がしたそうです。
二十一歳で、七歳年上の父と結婚。
結婚前に父は「信者になる」と母に大きな嘘をつきました。
しかも、結婚後は、母に教会に行くことを許さず、大事にしていたヴェール、聖書や祈祷書、すべて、父によって捨てられました。
何ということでしょう。
祖父は再婚しており実家に戻ることは難しかったそうです。
どんな思いで過ごしたのでしょうか・・・月日は流れ、三十数年の歳月を経て、母は再び教会の扉を開けるようになりました。
その間、日常に流されながらも、信仰を失くすことはありませんでした。
今年、九十歳になる母は教会から帰ると、にこにこして嬉しそうな表情をしています。
「死んだお母さん(祖母のこと)は、『相手の立場に立って考えてあげなさい。自分がしてもらいたいことをしてあげなさい』とよく言っていた」と話をしてくれます。
さらに「人を許してあげるのよ。どんな人でも良いところがあるからそこを見るの。みんな良い人。好きになるよ」と母は言います。
祖母から母へ、母から私へ、知らないうちに福音が伝えられてきたのです。
聖書を読み、ミサでお話を聴きながら、母の根底に流れるものがどこから来ているのか分かりました。
そして、純粋に母のようになりたいと思いました。
神様の声に耳を傾け、素直な心で、これからも祈りたいと思います。
母とともに。
神に感謝。