私が洗礼を受けてカトリック信者になろうと思ったのは、2016年、中学3年生のときに起こったイタリア中部地震がきっかけだ。
そのときから続く被災者を支援したいという思いと、被災者とのかかわりが、私をカトリックへの洗礼に導いた。
私自身、東日本大震災と大阪北部地震を経験したが、大きな被害なくすぐに日常生活に戻れたのは、日本の防災が市民に浸透しているためだ。
イタリアの被害と進まない復興の様子を見て、私はイタリア語を学ぶことに決めた。
イタリアの被災者を中長期的に支援したいと思うようになったからだ。
復興には心理社会的側面の支援が欠かせない。
被災者が精神的困難をひとりで抱えることなく、苦しみや喜びを吐き出せるひとや場所が必要だ。
そのひとつが教会だ。
被害を受けた山間部の集落の復興が遅れているため、毎週日曜日に教会に行けないと語っていた友人がいる。
イタリア人の思考の根底には、カトリックの信仰がある。
イタリア人と防災について話をすると、神様にゆだねようとか、私達が対処できる話ではないという意見が聞かれる。
その負の側面は人間が対策できる範囲での防災に消極的になること、そして正の側面は信仰が心理的な支えになるということだ。
被災者の友人は、家族全員敬虔なクリスチャンだ。
洗礼名のアドバイスを聞いたときには、とても喜ばれた。
ミケーラとはイタリアで聖ミカエルに由来する女性名であるとともに、大切な友人の名前でもある。
イタリアではこどもの名前を決めるときに、聖人の名前を参考にする例が多い。
聖名祝日と呼ばれる日には、自分の名前の由来となった聖人を祝い、友人から贈り物を貰うこともある。
イタリアを含むヨーロッパ諸国では、教会から遠ざかるひとが増えたと聞く。
保守的な思想に賛同できなかったり、生活が忙しかったりするためだ。
研究では被災者の1割が精神疾患を発症するといわれている。
イタリアは1980年のバザーリア法で単科精神科病院を廃止し、日本が抱える問題である長期入院や社会的入院が起こりにくい土壌を作った。
精神的困難を抱えるひとたちを支える役目は病院から地域に移された。バザーリアは「自由こそ治療だ」と述べた。
患者を身体的・精神的に拘束せず、ひとりの人間として尊重する姿勢は、精神医療を患者中心のものにした。
そのイタリアで私は心理学を専攻し、被災者と話すうちに、信仰はひとを支えるということを体得した。
ウクライナでの戦争で、避難した防空壕の壁に主の祈りを書いてみんなで祈ったという話がある。
人生はいつだって楽しく幸せなわけではなく、ときに厳しい顔を見せるときもあるが、苦しいときには、信仰という杖が私達を導き支えてくれる。
人工知能などの技術革新が起きても、ミサは対面で行われると信じている。
みんなが同じ部屋に集まりともに祈ることで、共同体感覚を味わっている。
共同体感覚とは、アドラー心理学の理解の核となる用語で、より大きな集団に利益を還元しようとすることで、ひとはより幸せになれるというものだ。
被災者の心理的復興にもこの感覚は欠かせないものだ。
復興とは自分のためだけではなく、愛するひとや亡くなったひとや未来世代のためでもある。
神様が見守っていてくれるからこそ、試練も乗り越えられる。
私の愛する地域がはやく復興し、被災者が身体的にも精神的にも健康でいられるよう、一緒に祈りたい。