安土セミナリヨ顕彰ミサ 巡礼バスツアー

5月18日土曜日、美しい新緑の日に、枚方教会から7名、京都の教会など合わせて28名で、京都キリシタン研究会のツアーで、安土セミナリヨ公園や、安土考古博物館に行ってきました。

安土セミナリヨ跡への訪問は、毎週火曜日に行われているフロイスの『日本史』を読む会で、読んだばかりの箇所なので、大変興味深く、その場所でミサに与れたことは幸せでした。

この場所を織田信長からイエズス会に下付されたのは 1580年5月22日で、高山右近や献身的な信者たちの援助で3階建ての立派な建物が安土城の麓に建ち、セミナリヨ(小神学校)を開講しました。

パウロ三木など二十数名が学び、信長も時々オルガンを聴きに来ていたそうですが、1582年の本能寺の変で事態が一変。

セミナリヨはその後点々と移転するも、廃墟となりました。

ミサは大塚司教様と滋賀ブロックの神父様たちの共同司式で、聖書朗読や歌はベトナム語や英語、ポルトガル語、スペイン語を交えて捧げられました。

大塚司教様は、セミナリヨは種を蒔いてそれを育てる場所という意味で、信仰を育てる場所、神さまの愛を大きくしていく場所だと話され、キリシタンたちが親子で信仰を守り殉教したように、家庭で信仰を育てる大切さを話されました。

信仰が自由になった今、「ぬくぬくとしていませんか?」「たるんでいませんか?」「宣教の熱意が冷めていませんか?」と問いかけられました。

ミサの後、滋賀ブロックの方々はロザリオや各国の分かち合いなどで残られましたが、私たちのツアーは、坪清というところで昼食後、安土考古博物館で、安土城の歴史や、草津で見つかった聖母マリアのメダリオンを見せていただきました。

坂本城公園は琵琶湖の水が増えて水没しているということで車窓見学となりました。

琵琶湖の橋を渡る時は、宣教師と神学生たちが命からがら逃げたとされる沖ノ島も見ることができ、安土のキリスト教の短い繫栄を偲んだ巡礼ツアーでした。

 (F・T)