司祭叙階25年目 梅﨑隆一神父

司祭への召し出しとは、神の呼びかけに答える事だと教えられていました。

しかし、私が終生誓願を立てる前に問題になったのは「あんな馬鹿な人が神父になっていいのですか」という事実でした。

馬鹿なのは昔から知っている事で、特に高校生の頃、通っている学校の事で馬鹿にされました。

大学に入っても「あんたが大学に入ったのは、私の推薦書のお陰だ」と念押しされたり、今でも「梅﨑神父の話す英語を聞くと(レベルが低いので)安心する」とも言われます。

馬鹿である事は知ってはいても、人から言われて悲しくないわけがありません。

それよりもショックなのは、修道者、司祭を決めるのは、神ではなく、賢く力のある人が権利を勝ち取る事であるという考え方です。

人の賢さが決め手になるなら、召命に限らず教会の決定にも神のみこころなど必要ありません。

やがて司祭になり1年も経たずにうつ病になり、病気が治らないまま仕事をさせられていて、6年目にインドに行けと言われた。

インドは5カ月で限界になり戻りました。

そんな私に「お前なんか認めない」とわざわざ電話をしてくれた方もいらっしゃいます。

そして7年目の3月に「修道会をやめるかどうか考えろ」と面罵され、1カ月後「辞めます」と言ったのですが、「そんな大事な事をそんな簡単に決めてはいけません」と言われ、結局居残りました。

居残ったのだけど、肩身は狭いし、外国の会員からいじわるな事を言われたり、睨まれたりしても、レベルが低い英語では何も伝えられないので我慢する事にしました。

私などとは違い惜しまれながら去っていった神学生、司祭達がいる中で、自分が残ってしまった事について「何故?」とたまに問い返してみたりします。

こうして7年目以降は司祭としての余生を生きています。

こうして分かったのは「人は死ぬまでに何度も死ぬ」という事でした。

死ぬことなしに新しい自分にはなれません。

知識や実績、経験を積み、それに伴う肩書を身に着ける事で神に近づこうとするなら、傲慢な人間になり、キリストの背丈にまで成長することはない。

最近ずっと味わっているのは「私のためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである(マタイ5-11)」というみことばです。

人は認められ愛されたいと思うものですが、神は「愛されなさい」とは言われず、「愛しなさい」と言われます。

人は愛を生きていても、中傷や嫌がらせは何らかの形で受ける事になります。

そして愛するために大切なのは、自分を馬鹿にして人が去っていく事を許すことです。

しかし生身の人間にとって、とてもつらい事であることは間違いありません。

イエスのもとを多くの弟子が去っていった時、「あなたがたも離れて行きたいか(ヨハネ6‐66)」と12人の弟子達に問います。

イエスはとても悲しかったはずです。

ペトロは「主よ、私達は誰のところへ行きましょうか(ヨハネ6‐68)」と答えるものの、ペトロを含む12人の弟子達は決定的な時にイエスを裏切ります。

そして神が分からなくなった時イエスの悲しみは頂点に達します。

私の場合はイエスのように霊的に高位のそのレベルには達していないし、そんな気持ちを味わいたくはありません。

25年目を迎えた司祭のいさおしの話を期待している人には申し訳ないのですが、私には誇れるものは1つもありません。

そんな自分が司祭になって25年目を迎えたのは、自分の才能でも努力でもなく、ただ気のいい人達と神様が支えてくださった結果なのだと思っています。