次の月曜日から秋が始まるかも知れないというニュースを聞いた、9月26日金曜日の夜、私は日本へ来て新たに夏を迎えました。
日本へ来てよく聞いた話は、なぜ日本へ来たのか、ということです。
それは簡単に言うと、私が話せる外国語が日本語だけだったからです。
修道会でサバティカルの期間を志願する人は、その期間中に何をするかの計画を立てて、修道会管区長に送らなければなりません。
何の計画もなく、ただ休みたいという願望は聞いてくれません。
それで、私のサバティカルが認められるために、一番合理的に見える根拠を考えてみたら、何か学問的なことを学ぶには一年間では時間が足りないし、サバティカルの期間が始まるのは一学期が終わった後(7月末)だから、一年コースの学校を通うこともできないから、どこかで経験することを決めましたけど、韓国国内にいると、他人の仕事に呼ばれると面倒くさいし、外国に行くと新しい言葉を学ぶのが大変だと思って、すでに知っている日本語が使える、日本に来ることを決めました。
新しい言葉を学びに行ってもいいのではないか、と思うかも知れませんが、英語とかは以前学んだことがありましたが、何年かかっても上達できなかったので、自分はアメリカやヨーロッパの言葉には向いていないと思いました。
それに、日本のクラレチアン会は韓国と違って、主に小教区の活動をしています。
韓国で小教区の実習で教区司祭といっしょに居住したことがありますが、修道会の共同体と異なる生活方式に寂しい思いをした経験があって、今度はクラレチアン会の共同体の小教区の活動を体験して、過去の寂しい思いを記憶の中から消したいと思ったのです。
すでに、ある程度日本語ができるとはいえ、練習をしないと、毎回のミサの中で、日本語の実力が落ちたかのような過ちがあって戸惑っています。
これからもこのようなことがあると思いますので前もって謝っておきます。
すみません。どうかよろしくお願いします。
私たちの未来は、神様に託して、私たちの目には何も見えませんが、いつも良い方向に導いてくださると信じましょう。
この前、大阪教区のある神父さんと、クラレチアン会の他の神父さんと共に食事する機会がありましたが、どんなに素晴らしい話でも、日本語を3時間以上続けて聞くのは、自分にとって、まだ無理であることが判明しました。
それが自分の体の状態によっては、2時間になることもあります。
皆様とお話しする時、そういうことに直面することがありましても、私自信の問題であることを認めていただき、どうか大目に見てくださるようお願いします。
あらためて、どうか、よろしくお願いいたします。

