“生まれて成長を続ける誰の先にも「死」が待っている人生”。
まるで死刑の宣告を受けてこの世に生れ落ちて来るような人生の先に立ちはだかる、この不可解な死の意味。
その死を先送りして、目先の楽しみ、豊かさに慣れ親しんだ現代人に「死」以上に嫌われているのが「老年期」と言われる昨今。
私は15年間、介護に関わった母を99歳で見送る機会を得、決して長寿を善しとしなかった母の「長寿の意味」に気づかされました。
不肖の息子である私が「真人間になるための教材」となるために、その身を神に奉げた最後の「奉仕」だと。以後、母に手を合わせる気持ちになりました。
わたしにとって
真人間の三つの条件 ①貧しさが苦にならない生き方
②相手サイドの愛(大切)
③誰とでも平和を築く生き方
かつて隆盛を誇ったどんな文明も、その成長を維持し続けた歴史はありません。
にも拘らず人類は、心を置き去りにして「成長の幻想」を追い求め続け、まるで「地球は人類の生活に奉仕するために存在している製品である」かのように地球を酷使し、CO2による地球加熱、豪雨被害、そして猛暑が世界の話題に上るが、「生き方」に心が向かうことはない。
文明の滅びは神の罰ではなく、人間の「生き方」の結果なのに。
心を放置して、欲望を求める競争の世界は戦争をもたらし、人類を滅びに向かわせる悪魔の罠。そんな世界を支え続けてきた地球が今、過労死寸前なのです。
人類に今、最も求められているのは、自国の利益ではなく、共生、共有、共存の平和な世界。
私たちがミサごとに主のみ前で宣言している「主の平和」です。
私自身の中に「あの人は絶対許せない。大嫌い。」という心を持ちながら神の前で「主の平和」は自己矛盾です。
先ず私たち自身の中に真の平和がなければ、世界の平和は実現不可能です。
敵を愛せない私自身の心に、「平和をもたらす秘訣の祈り」をここに紹介します。
「主よ、あの ○○さんが幸せになってもいいです! ○○さんを幸せにしてあげて下さい! 私ではなく、あの ○○さんを!」
「敵を愛する」とは、敵を好きになることではありません。敵の幸せ、救いを神に願ってあげることです。
心が伴わなくても、神はあなたの敵を幸せにすることがお出来になるので、この祈りは有効です。やってみてください。
あなたの自我から悪霊が退散し、神の聖霊が心に住まわれて、敵のさ中でも、心に主の平和があなたを支配してくださるでしょう!

