変容のとき  助任司祭 昌川 信雄

パンとブドウ酒が祭壇上に奉納されるたびに心に浮かべる『兄弟たち』がいます。

私たちが酷暑を避け活動を中断し夏休みをとっていた間にも、ひと時もベッドから離れられずに病と闘っておられた方々です。

その方々にご聖体を捧持するとき一度は耳元でこの話をするようにしています。

「ミサに与れず寂しいあなたのところに、イエス様が毎日ミサをたてに
来られますよ。

司祭が教会でミサを奉げる毎に、イエス様が来られ、あなたのベッドを祭壇にし、あなたの体をパンとブドウ酒の「奉納物」として聖変化し、あなたを尊いものに『変容』なさいます。

あなたは、あなたを訪問する人に冷たい一杯の水となり、世界中で人知れず苦しんでいる人々には、彼らを救う『贖いの生贄』となって、マリア様とともにイエス様の協力者とされるのです。」

豊かさを目指し、武力で突っ走った悲しい罪の世界で、8月6日(イエスの変容の祝日)人類初の被爆国となった私たち日本人は、今こそ、イエスのわが身を捨てた「変容」の世界に招かれていることに気づき、気づいたことを受け入れる勇気を持つ時でしょう。

主は語られます。『私が地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。…分裂だ』(ルカ12章49~53)と。

主がこの世に投ずる火は、人の深層にまで迫りそれを受容させます。

それは焼かれるような辛さを伴うと言われ、同時にキリストの受難と死に与らせて、その人を「神の人」にさせると言われます。

しかし、恐れに囚われて自我から抜け出せない者には激しい対立となって蓋を閉じ続け、それは逆に、自分の中に対立を取り込むことになります。

しかし聖霊によって開けられた蓋の中身の正体を見極めると、落ち着きを取り戻していき、やがてかつての恐れが恐れでなくなっていくことを体験する、これが『聖霊による清めの体験』と言われ、主は地上全てにこの聖霊の火が燃えていたらと願っておられます。

この世で生を終えたマリア様が、わが子イエスの変容と同じ姿で天にあげられ、私たちの未来の姿を示しておられる「被昇天祭」を、世界が平和のうちに祝えることを祈りましょう。