「あなたがたは異邦人のようにくどくどと述べてはならない。
異邦人は言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。」(マタイ6・7)。
異邦人は窮地に立たされたときに、様々な神々の名前を唱え、本当の神様の名前を唱えることができたときに願いが叶うと考えていた。
ですから本当の名前を唱えることができ、自分の願いが叶った時には、その名前を誰にも話さずに自分だけの秘密にしたそうです。
ヨナ書の中でもヨナが乗っていた船が嵐に遭った時、ヨナは船底で寝ていたのですが、船長がヨナのところにやってきて「寝ているとは何事か。さあ、起きてあなたの神を呼べ、神が気づいて助けてくれるかもしれない」(ヨナ1・6)と言っています。
そして名前を呼ばれた神は出て行かなければならないと考えられていた。ですから異邦人にとって祈りとは神々を支配する方法であったと言えます。
教会の子どもたちに「お祈りって何?」と質問したら、判を押したように「神様とのお話」という答えがかえってきます。
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