イエス様ともっと親しく アウローラT・N

  

「イエス様は友達であり、恋人であり、父親みたいなものよ」大学時代、スペイン留学中に仲良くなった友人に「イエス・キリストってどんな人?」と尋ねた際、こう返ってきました。

正直、意味がわからないぞ?と疑問符が増えただけでしたが、おそらくこれが初めて私がイエス様と出会った瞬間でした。

スペイン南部のイスラム教文化が残った地域に興味を持ち、スペイン・グラナダへ留学しました。

アラビア語も勉強し、意気揚々と渡航した結果、全く予期せずキリスト教に出会って帰ってきました。その後、要理の勉強に2年間通い、2017年に枚方教会で洗礼を受けました。

前述の友人が話してくれた、当時は理解できなかった様々な言葉が、今となっては信仰生活の大きな支えとなっています。

彼女が毎日ミサに行き、土曜日はゆるしの秘跡に与っていることについて、理由を尋ねたことがあります。

その答えは「好きな人には毎日会いたいでしょう?それがイエス様だから教会に行くの!ご聖櫃にランプが灯っているときは、そこにイエス様がいる証拠。

私たちは自由だから、明日から神様なしで生きようって、自分で決めて生きることもできる。でも私はイエス様が好きだから離れたくないし、もっと親しくなりたい。

離れないようにしてくださいってお祈りもする。自分の力だけではつまずくことがいっぱいあるからね」スペインで神様を知ってから日本の教会に通うようになり、最も違う印象を受けたのはこのイエス様との付き合い方の部分でした。

もちろん、敬意はあれど、イエス様は親しみを持って、もっともっと身近に感じていい方なのだと知れたことは、私にとって大きなお恵みでした。

念祷をするときには、感謝もお詫びも反省もしますが、ただ嬉しかったことや悲しかったことも話しますし、たまには文句や愚痴を吐き出したりもします。

でも最後は、もっと人に良くできるよう導いてください、やるべきことを見せてください、と祈って終わります。

私も今は神様なしで生きたくありません。

継続している要理の勉強と多くの信者さんとの交わりを通じ、受け入れた結果、自分が一番大きく変わったと感じる点が「ゆるし」です。

子供の頃から「許さない」「そんなこと許す必要ない」という言葉に違和感を覚えていました。要理の勉強をして初めて、私はずっと人をゆるしたかったんだ、ちゃんと自分も謝りたかったんだ、と気づけました。

その気持ちを受け入れてからは、以前よりもずっと人と接することが楽しくなり、周りの人を愛することにも積極的になれました。

つい最近、年単位で祈っていたことが叶わず、やっとそれを手放して神様に「どうとでもしてください。お望みのとおりにします。だから見せてください」と祈るようになった途端、道が開けた体験をしました

。ああ、やっぱりこの先もずっと大好きな神様と生きていきたいな、と強く感じた経験でした。