現代における 若い世代の教会での 共同体作り
フランシスコ М・М

青年に関わろうと再度、動き始めたきっかけ、思いについて私見が多く含まれますが、書いてみたいと思います。

私は、53年間枚方教会在籍。侍者会、教会学校など、青少年に関わる活動に携わっていました。

30代後半から体調不良になったため、活動を休止しました。

幾度と教会活動へのお誘いもありましたが、体調が芳しくないため断っていました。

昨年の初夏、レジデンスにて青年の話をしている折り、耳元で「青年に関わりなさい!!」と声が聞こえた気がしました。

この声を裏切ってはいけないと本能的に感じお手伝いしようと思ったのがきっかけです。
   
久しぶりにミサを受け『子供も青少年も少ない。中学生以上や求道者の方、堅信を受けた方等、共同体として気軽に関わる受け皿がないな』と感じました。

昔と今の時代背景の違い

約40年前教会には若者、若い夫婦、子供も多く、信者の多くの子供がうみのほし幼稚園に通い、幼稚園と教会が一体となって活動していました。

当時は高度経済成長期、経済的に裕福ではない家庭もありましたが、毎年一定の定期昇給があり、少しずつゆとりができたと思います。

一般的に父親が働き、母親は専業主婦、日曜日は家族全員が休み、子供達は外で遊び、信者の子供達は日曜日を教会で過ごしていました。

現在はどうでしょう?
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幼少期の思い出の神戸東灘
使徒ヨハネ S・S

だいぶ前にこのページを頼まれて断れず、ああでもないこうでもないと悩んでいたら、あらら、締切り過ぎちゃったじゃありませんか。

さて、これを書いている前の週に60歳の誕生日を迎えた私が生まれたのは、そんなに遠方ではなく神戸市東灘区です。

阪急電車の岡本駅と住吉川の間で、すぐ近くに甲南大学のある所です。

私の父は六甲中学・高校で学び、在学中に私の祖母と2歳上の伯父と受洗し、母親も結婚をきっかけに故郷の九州の飯塚で洗礼を受けたそうです。

私が産まれたのは、灘の神戸海星病院です。
 
昨年末の黙想会で講師の沼野さんから「あそこは今、警備会社の経営する病院」と伺ってびっくりしました。

その神戸海星病院で産まれてすぐに、当時住吉教会におられたベロウ神父様が来られて洗礼を授けられたそうです。

なので、信者歴60年と言いたいところですが、よくある中高生から教会へ足が向かわないパターンで、19年前に枚方にやって来てようやく、再び信仰を考えました。
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上五島巡礼の旅
クリストファ S・T

10月21日から「梅﨑隆一神父とともに上五島巡礼の旅」というツアーに参加しました。

新幹線~バス~フェリーと乗り継いで中通島に夕方に着きました。

着くと明るいガイドさんに迎えられ、最初の訪問地である青砂ヶ浦天主堂へ向かいました。

明治時代に鉄川与助さんによって建てられた赤レンガ造りの威厳ある外観、聖堂内の何もかもが息をのむような素晴らしさで圧倒されました。

御聖堂にはシスターや信者さんたちが集っておられ、ロザリオの祈りが始まりました。

一緒にロザリオを祈るうちに、五島へ行くのが初めてでどこか観光気分だった私は、一気に身の引き締まる思いがしました。

江袋教会の祭壇

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心の復興と信仰
ミケーラ M・H

私が洗礼を受けてカトリック信者になろうと思ったのは、2016年、中学3年生のときに起こったイタリア中部地震がきっかけだ。

そのときから続く被災者を支援したいという思いと、被災者とのかかわりが、私をカトリックへの洗礼に導いた。

私自身、東日本大震災と大阪北部地震を経験したが、大きな被害なくすぐに日常生活に戻れたのは、日本の防災が市民に浸透しているためだ。

イタリアの被害と進まない復興の様子を見て、私はイタリア語を学ぶことに決めた。

イタリアの被災者を中長期的に支援したいと思うようになったからだ。

復興には心理社会的側面の支援が欠かせない。

被災者が精神的困難をひとりで抱えることなく、苦しみや喜びを吐き出せるひとや場所が必要だ。

そのひとつが教会だ。

被害を受けた山間部の集落の復興が遅れているため、毎週日曜日に教会に行けないと語っていた友人がいる。
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わたしのふるさと
枚方市 イグナシオ N・T

枚方市伊加賀で昭和25年に生まれ、岡南から北牧野、尊延寺と移り住みましたが東京、奈良の約一年を除けばずっと枚方です。

小学生の時、枚方市の人口は約7万人でした。

経済発展と共に人が増え、40万人を超えたところでピークを迎え、今は減少段階です。

日本の縮図でもあります。

ふるさととは山や川、海等の自然を思い浮かべますが、私には何より、身近な懐かしい人々に行き着くように思います。

家族をはじめ、友がき、恩師、ご近所、お世話になった人から迷惑をかけた人まで、全ての人達です。

私の場合、枚方教会を外すわけにはいきません。

記憶では、聖堂ができる前、ミサが行われていた「うみの星幼稚園」旧講堂で弟と受洗しました。

6歳でしたか。

それまでは、香里教会に母に連れられ通いました。

畳敷きでした。

やがて、香里から分離独立した枚方教会に移りました。
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思い出の木 パウロ N・T

私は樺太からの引揚者です。

子供の頃、樺太から引き揚げ、家族が揃って暮らせるようになったのは尼崎市です。

樺太の王子製紙からの引揚者が参画して神崎製紙(現・王子製紙)という会社が創られたからです。

家族は昭和24年頃から社宅に住むようになりました。

社宅は平屋1戸建2DK、6人家族ですから狭いものでした。

当時から尼崎市は工業都市で社宅の回りにはヤンマーディーゼル、キリンビール、久保田鉄工所、塩野義製薬、東洋紡績などの大きな会社の工場が沢山ありました。

しかし、公害はなく、近くを流れる神崎川の水も泳げるほどきれいで、煙突から排出される煙も酷くありませんでした。 “思い出の木 パウロ N・T” の続きを読む

五島列島福江島 フランシスコ T・K

私の故郷は、教会群で世界遺産に登録されている長崎県の五島列島です。

本当に多くの教会が点在しています。

私の実家からも、海の対岸に白壁の水ノ浦教会が望めます。

その教会は聖母マリアに捧げられた教会と聞いています。

その昔キリシタンに対する迫害が、この地であったそうです。

そんな多くの教会の中で、私が所属したのは三井楽(みいらく)教会でした。

私の幼い頃は木造でしたが、現在では立派な鉄筋造りの教会になっています。

当時の名残として、鐘塔が残っています。   “五島列島福江島 フランシスコ T・K” の続きを読む

イエス様ともっと親しく アウローラT・N

  

「イエス様は友達であり、恋人であり、父親みたいなものよ」大学時代、スペイン留学中に仲良くなった友人に「イエス・キリストってどんな人?」と尋ねた際、こう返ってきました。

正直、意味がわからないぞ?と疑問符が増えただけでしたが、おそらくこれが初めて私がイエス様と出会った瞬間でした。

スペイン南部のイスラム教文化が残った地域に興味を持ち、スペイン・グラナダへ留学しました。

アラビア語も勉強し、意気揚々と渡航した結果、全く予期せずキリスト教に出会って帰ってきました。その後、要理の勉強に2年間通い、2017年に枚方教会で洗礼を受けました。

前述の友人が話してくれた、当時は理解できなかった様々な言葉が、今となっては信仰生活の大きな支えとなっています。 “イエス様ともっと親しく アウローラT・N” の続きを読む

私は静かに神を待つ
マリア・セシリア H・H

私の実家は浄土真宗でしたので、小学生の頃は母と一緒に週に一度はお寺にまいり、朝夕には「あなかしこ、あなかしこ」と親鸞聖人の言葉を唱えていました。

キリスト教に出会ったのは中学生の時です。

プロテスタントの方が宣教に歩いていて、賛美歌「かみともにいまして」を歌っていました。

その歌が私の心に深く残りました。

高校時代は、音楽の先生がプロテスタントで、先生に連れられて近くのプロテスタントの教会によく行っていました。

その頃の私は、仏教の錬成会に参加したり、仏教とプロテスタントを行ったり来たりしていたように思います。

大学2年の時にカトリックの教会にも行ってみようという事になり、友人2人と当時は古い旅館の建物だったカトリック松江教会を訪ねました。 “私は静かに神を待つ
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隠れキリシタンの里 兵庫県加西市
アントニオ  M・T

私の生まれ故郷は兵庫県加西市で、就職のために大阪に出てくるまで、そこで生活していました。

小学校と中学校は1学年60名程度の2クラスしかない田舎の学校で、のどかな田園風景の広がる土地でした。

実家は代々仏教の真言宗の檀家で、母親が天理教を信仰していましたので和室には仏壇と天理教の神棚が祀ってありました。

そんな家庭環境に育った私は、毎晩母が唱える般若心経を聞きながら育ち、また小学生までは天理教の教会にも行ったことがあります。

そんな私が41歳でカトリックの信者になり、何年か前に神田牧師(故人)の書かれた「野崎観音の謎」の本を読むまでは、自分のふるさとが「隠れキリシタンの里」であったということを全く知りませんでした。

 

この本は野崎観音を、処刑されたキリシタンを弔うためのカモフラージュのお寺ではないかということを主題にして河内キリシタンを中心に書かれていますが、加西市の隠れキリシタンについても紹介されています。

加西市には150体以上の十字架地蔵が点在しているようで、その代表的な事例として大日寺の背面十字架地蔵があります。 “隠れキリシタンの里 兵庫県加西市
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