当然な祈り  ー枚方キリスト教会牧師ー 河北朝祷会より(2015.11.12 第184回)

私と祈り

クリスチャンになって40年。その大半において、祈りは「よく分からない」と思ってきた。「祈りなさい」と聖書にあるので、一応は祈るのだが、聞かれることもあり、聞かれないと思うこともあり、どうも捕らえどころがない。祈りが聞かれるには、どれほど強い信仰が必要なのだろうか、と思ってきた。エフェソ3章14‐19節には、あまりにもスケールの大きな祈りがある。ここでは、祈りに全く自信がなくても、確信をもって祈れることを教えてくれる。 “当然な祈り  ー枚方キリスト教会牧師ー 河北朝祷会より(2015.11.12 第184回)” の続きを読む

終油の秘跡?  病者の秘跡?  フェリックス 神父

あるお嫁さんが、教会に行って主任神父様に、姑さんが臨終だったので、秘跡を授けに来てくださるようにお願いしました。それを聞いた神父がこのように答えました。

「私が行ったら終油の秘跡になります。助任の若い神父が行ったら病者の秘跡になる。どちらに行ってほしいですか」と。お嫁さんが、「やはり、主任神父様に来ていただきたい」と答えたそうです。病人が助かる見込みがある間に神父を呼ばないで、医者があきらめた時だけ呼べばいい。まさに死ぬ寸前の秘跡。死にそうな人を天国に送り込むためのフリーパスのようなこと。 “終油の秘跡?  病者の秘跡?  フェリックス 神父” の続きを読む