隠れた神 ーカトリック枚方教会 信徒 I.O- 河北朝祷会より(2016.5.12 第189回)

聖書百週間という聖書を読み、分かち合う場があります。その週の範囲を最初の一日か二日は知識として読み、その後、言葉を手で触るようにたどっていき、心に響くことを反芻し、温め、それが神様とのお喋り、祈りに、お願いの祈りが感謝の祈りに変わっていきます。毎週、黙想会をしているようなものです。

先日、教会の社会活動委員会で募集した大阪の教会の人達で福島のボランティアに行きました。5年を過ぎ、福島への関心は薄れているような中で、自分の五感で受け止めたいと思っていましたが、結果は恵みとなりました。

福島は復興の入り口に入ったかなという状態です。現地の風評被害の農家の支援、また仮設住宅での孤立死、自死を防ぐ活動なども、こちらではあまり知られていません。それでも被災者として社会に知られた人は、まだましかなと思います。悲しみや苦しみの比較はできません。しかし被災者、障碍者、ホームレスなど、その存在が知られている人達は、そういうものとして扱われます。 “隠れた神 ーカトリック枚方教会 信徒 I.O- 河北朝祷会より(2016.5.12 第189回)” の続きを読む

主の平和(シャローム) 主任司祭 ハイメ・シスネロス

ハイメ神父写真

復活されたイエスは弟子たちに現われて言われた、『あなたがたに平和があるように』(ヨハネ20:19)。

またイエスはミサの中で祈る教会を通して語りかけて下さいます。『わたしは平和をあなたがたに残し、わたしの平和をあなたがたに与える』(ヨハネ14:27)と。

平和を与える主の声の響きを、わたしは皆様に送り伝えます。これは神の恵・ゆるし・信頼・信仰等を感じさせてくれる恵みだと確信しています。また信仰の土台にイエスからの『平和の恵み』があることを認めると安心します。 “主の平和(シャローム) 主任司祭 ハイメ・シスネロス” の続きを読む