「静 か に」 ー関西学院大学神学研究科前期課程在学生ー 河北朝祷会より(2016.6.9 第190回)

聖書で鍵となる物語、出エジプト記からメッセージを分かち合いましょう。神さまが契約を結んだアブラハムの子孫であるヨセフは兄たちの嫉妬からエジプトに売られました。後にイスラエルの民は400年以上にわたりエジプトで奴隷として働きます。

大国エジプトからどうやって逃げ出し、自由の身になれるでしょう。神さまは、燃える柴の間から、モーセに言われます。「今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ」。モーセの幾度もの交渉はファラオに聞き入れられず、神さまは様々な災いをエジプトに送られました。

最後の災いは初子の死でした。ついにファラオも降参します。「出て行くがよい」。イスラエルの民は自由になりましたが、ファラオは思い直し、自ら軍勢を率い、戦車全てを動員して人々の跡を追いました。民のすぐ背後にはエジプト軍、前には紅海。パニックに陥ります。

そこで、今日の言葉です。モーセは人々に言いました。「恐れてはならない。今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。あなたたちは今日、エジプト人を見ているが、もう二度と、永久に彼らを見ることはない。主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」

出エジプト記はとらわれからの解放を記念する物語です。大切なのは、行為主体が神さまであることです。ここでは救出したのが神さまであることが、はっきりと述べられています。私たちは自分で自分を救おう、としがちです。自分でなんとかできる、大丈夫。助けを求めない、受け取らない、他者からの手助けを拒否する場合もあるでしょう。このような場合の多くは、相手を信頼していません。そしてときに出口が見えず、八方ふさがりになります。私たちはエジプトにいた奴隷のようです。背後にはエジプト軍、前には海。救ってくれるだれかが必要です。

イスラエルの民は絶体絶命の場面でモーセに不満をぶつけましたが、モーセは応えます。「主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい」。私が育った大阪の言葉にすると「あんたらは、なーんもしなさんな、静かにしときなはれ」くらいでしょうか。

詩編46章「力を捨てよ、知れ、わたしは神」の力を捨てよ、も原文では静かに、です。私たちはどうしたら静かになれるでしょう?手を止めましょう。仕事を横へ置きましょう。その場を離れましょう。繰り返し深呼吸しましょう。ペースを落としましょう。見つめましょう。耳を澄ませましょう。花の香りをかいでみましょう。携帯やパソコンから離れましょう。静かに。

そして私たちは聞きます。「主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい」。十字架上のイエスさまは、最後の一息まで父である神さまに心を開いていらっしゃいました。私たちはイエスさまに従うものです。しかし静かに、といえども危機や困難、暴力にさらされている方は、神さまや人に叫んで下さい。声をあげ助けを求めて下さい。また、教会と私たちは静かにして、喧噪や抑圧のもとで聞かれない声を、丁寧に拾って応答していく必要があります。そのうえで、神さまの働き、勝利を待ちましょう。

主があなたたちのために戦われる。主がいやされる。主が解決される。主があなたたちを家に導いて下さる。主はかがみこまれる。あなたを立ち上がらせるために、抱きかかえて、あなたをなだめて下さる。主の愛をもって。「主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい」。「静かに。知れ、わたしは神」。静かになさい、そしてわたしの勝利を見ていなさい。

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