再洗礼派メノナイトの歴史(寄稿者 日本メノナイトブレザレン 教団 退職牧師 J.F)河北朝祷会より(2018.4.12 第209回) 

ルターの宗教改革は1517年。そのわずか2年後に、ツウィングリがスイスのチューリヒで、市議会とともに宗教改革を始めた。
今日、町の中心部リマト川の畔に立つ彼の銅像は、右手に聖書、左手に剣を握り、聖書に従う改革を剣をもって成し遂げるとの、彼の宗教改革の性格を表しているようだ。彼はルターの改革をさらに聖書に従って進め、幼児洗礼に反対を表明していた。

しかし、彼はやがて幼児洗礼容認へと傾いていく。そのような中で、幼児洗礼を認めず、キリストを信じる信仰に基づいて受ける洗礼こそが新約聖書が語る洗礼であると主張するグループは、信仰による洗礼を授け合うことになる。ツウィングリと市当局は、秩序を乱すものとしてこれを弾圧した。彼らはそれでも聞き入れないために、1527年からは指導者たちをリマト川に手足を縛って投げ込み、溺死刑にした。

当時のヨーロッパの国々では、国民が皆、幼児のときに洗礼を受けていたので、彼らが受けた洗礼は、2度めの洗礼となるため、このグループは「再洗礼派」と呼ばれる。以後、彼らは、プロテスタントからも、カトリックからも、300年以上にわたって迫害を受けていくことになる。

再洗礼派の特徴は、
①「信じる者による教会」であり、ルーテル派やカルビン派のような、国や都市単位で、その構成員全体を会員とみなす国教会ではない。

②キリストの「弟子の道」を強調し、聖書をよく読み、聖書に従い、自分の命の危険を冒してもキリストに従うことを優先した。

そのような中で、オランダにメノー・シモンズというカトリックの司祭がいた。彼は1536年にその職を捨て、再洗礼派に加わり、その指導者となる。
メノーに従う人々が、「メノナイト」と呼ばれることになる。彼は、キリストに従う者として、③「無抵抗主義」を教え、兵役に就かないことをその特徴に加えていく。
その後1789年に、メノナイト派は、兵役を免除するとのロシア皇帝の招きで、1789年以後、ウクライナに集団入植をする。
しかし、生活の安定とともに、信仰の後退を経験し、またそれを改革する人々も起こされてくる。
19世紀末には、宣教師をインドに送り、その後に、多くは北米に移住し、コンゴや他の国々にも宣教師を派遣した。

今日、全世界で、メノナイト系のグループに属する人々は、100万人を超える。
エフェソ4章1-3節には、
「神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく・・・平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい」とあり、自分たちの教派を誇るようなことこそが、神から招かれたクリスチャンとしてふさわしくないことである、と聖書は語る。

さらに、5-6節では、「主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、・・・神は唯一であって、・・・すべてのものの内におられます」とあり、自分たちの洗礼の仕方こそ正しいとして、他を認めないようなことが、主が定められた「洗礼は一つ」であることを壊してしまうことになる。

互いの特徴を認め合い、
「主は一つである」と一緒に神を賛美していきたい。