ルイス・フロイスに なった「くらわんこ」 寄稿者Fさん

鍵屋のマリア観音

11月の関西文化の日に市立枚方宿鍵屋資料館に見学に行きました。マリア観音と伝えられているものも展示されています。帰りに頂いた枚方文化観光協会の2019年のカレンダーを見て驚きました。そのカレンダーには「くらわんこ枚方ゆかりの人々」として、古墳時代には継体天皇、奈良時代には百済王敬福、平安時代には在原業平、室町時代には蓮如上人などに、犬のキャラクターの「くらわんこ」が扮しているイラストが描かれています。そして戦国時代にはなんとルイス・フロイスに!

今のところ確認できたのは、ルイス・フロイス著『日本史』の中に、フロイスが1565年に都から追放され、飯盛城や三箇(現在の大東市)のキリシタンたちのいる河内の国に向かう途中に、枚方で夜を迎えたが真夜中には飯盛城の麓の教会に到着したという記録があるだけです。同行者には小西行長の父、小西ジョウチン立佐もいたようです。

「司祭は都から約二里距たった鳥羽で船に乗り込んだが、それは同行した三好日向殿の家臣たちが司祭のために用意していたものであった。ここで都のキリシタンたちは司祭に別れを告げたが、常に司祭のもとに留まった三名を除き、その数は大勢であった。その地で司祭はダミアン修道士を通じ、野外でもう一つ別の説教を行ない、いっそうデウスに信頼するように、そして自分たちはデウスの御恩寵により、まもなく再び帰り来る慰めを得られようと彼らを励ました。そして枚方という地で夜になったが、一行は、すぐ川岸に飯盛城から派遣されて来てそこで一行を待機していた馬や貴人たちを見出した。真夜中に、彼らは一つの礼拝堂に到着した。そこには多数のキリシタンに伴われて、ガスパル・ヴィレラ師が一行を待っていた。フロイス師は彼に都での出来事について報告した。この聖堂は既述のように都で毒殺された若い貴人(結城左衛門尉)によって飯盛城の麓に建てられたものである。」

フロイス一行が鳥羽から船で川を下り夜になって着いた枚方の地は、間違いなく鍵屋浦でしょう。当時船宿であった鍵屋は今、市立枚方宿鍵屋資料館となり、ここを拠点とする枚方文化観光協会の2019年カレンダーに「くらわんこ」がフロイスになって登場したという次第です。とっても嬉しいことですので紹介させて頂きました。
他にも枚方とフロイスのエピソードをご存知でしたら教えてください。