私たちは神の「作品」であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。(エフェソ書2章10節)
キリスト者は自らが「神の最高傑作品」であることを知らなければなりません。ミケランジェロがダビデ像を完成させたとき、大理石のなかに閉じ込められていたダビデを取り出したと表現したそうです。唯一無二の芸術家である神様は、私たちがどのような状態の中にあっても、自分で自分を愛せない、赦せない、いや、自分を憎んでいたとしても、キリストの内にある私たちの「真の自己」を見つめていてくださり、閉じ込められている「神の最高傑作品の私」を取り出してくださるのです。
私の父は私生児として生まれました。小学生の頃、「おばちゃん」と呼んでいた人が実の母だと知らされ、出自の事実を告げられたのです。その瞬間、父は自分なんか生まれてくるべきではなかったとの深い拒絶感に打ちのめされました。
母は、自分が胎に宿ったことを知ったとき、狼狽して、堕胎することも考えたに違いない。「僕は望まれて生まれてきたのではない」との根源的な拒絶感に心が苛まれるようになっていったのです。父は自分が生まれたことを肯定してくれるものを必死に探しましたが、文学の世界にも、娯楽の世界にも見つけることはできませんでした。
そんな父が22歳を過ぎた頃、救い主イエスと出会い、生かされている喜びに満たされ、牧師になるべく献身の道を歩み始めたのでした。
神学校を卒業し巡回伝道者として歩み始めた父は、山で徹夜祈祷中に33歳の若さで、妻(私たちの母)と5人の息子を残して一言の別れの言葉も告げず旅立ってしまったのです。
長男の私は9歳、次男8歳、三男7歳、四男1歳、五男は生後2週間でした。「父の生涯はいったいなんだったんだろう」と思うようになりました。神様が父をもてあそばれたようにさえ感じました。山で祈りながら死んだことは無駄死に過ぎなかったのか。大勢の人が父の死には意味があったと慰めてくださいましたが、私の心はどのような言葉からも慰めを受けることはありませんでした。
社会人になった私は「献身への促し」から逃げられなくなっていました。しかし「父の無意味な人生」との「つまづきの思い」を払拭することがどうしてもできず、献身への決断を下すことができずにいました。自分の命も父の命のように神様にもてあそばれるのではないかとの不安がつきまとったからです。
そんなとき、エフェソ書の「私たちは神の作品」であるとの御言葉が心に迫ってきました。「父の人生」も「神の作品」として完成したのか、神様が途中で投げ出されたのか? いや、そんなことは絶対にない。神様は父の生涯をご自身の「最高傑作品」として完成させられている、私は「神の作品」である父の生涯を「未完成品」だとか、「失敗作」だとか、なんて失礼なことを考えてきたのか、父の生涯をそのように見下すことは神様を愚弄し、父の人生を蔑むことではないか、そう思えた瞬間、父の生涯が「神の作品」として完成した、「神の最高傑作品」だと心から思えるようになったのです。