河内キリシタン祈念祭 (河内キリシタン発祥の地で祈る)に参加して F・T

10月26日(土)、大東教会主催の河内キリシタン祈念祭に参加しました。

飯盛山のふもとの信愛の森で野外ミサの予定でしたが、前日の大雨で山道の足元が悪く、大東教会でのミサになりました。

19教会から約60名の参加があったそうで、枚方教会からも10数名が参加しました。

今回は5回目で、昨年までは河内出身の日本205福者殉教者である三箇アントニオと妻マグダレナの取り次ぎを祈るミサを行なってきましたが、今年から河内キリシタンの信仰そのものが素晴らしいと、「河内キリシタン祈念祭」という名称に変更されました。

確かにこの地では、フランシスコ・ザビエルの来日(1549年)の14年後の1563年に飯盛城で三好長慶の家臣73名が集団洗礼を受け、三箇、岡山、砂の寺内などに教会が出来て信者が増え、日本の初期の宣教を支えていきました。

ミサの中で竹延神父様は、かつて河内の地にキリシタンの集団が誕生し繁栄したことを、偶然ではなく神さまの摂理であると、熱い思いで語ってくださいました。

「神さまの創造の業で生まれた飯盛山は、堺や都を見渡すことができたこと。

近くには大阪湾に続く湖と東高野街道が通り、船でも陸路でも便利な交通の要衝であったこと。

飯盛城が築かれ城主三好長慶が五畿内を治める天下人となり、キリスト教の布教を認めたこと。

奈良で父の結城忠正と同時期に洗礼を受けた四条畷岡山城主の結城左衛門尉が、河内でもキリスト教の教えを広めたいと願い、三好長慶の家臣73名が宣教師ヴィレラから洗礼を受けることになったこと。」 
   
450年ほど前にこの地で行われた神さまの摂理の御業に、改めてミサの中で感謝しました。

宣教師ヴィレラやフロイス、オルガンティーノがたびたび河内を訪問し、各地からも信者が集まり、盛大に復活祭やクリスマスが祝われたそうです。

後に殉教者となる三木パウロや三箇アントニオも幼少期を河内で過ごしたとのことです。

ミサ前には、大阪田辺教会の玉置和男さん(87歳)が、グレゴリオ聖歌を聴かせてくださいました。

当時のセミナリオでも西洋音楽が教えられ、細川ガラシャの葬儀の時など盛大に歌われたそうです。

ミサ後には晴れ間も見え、元気いっぱいの枚方教会の方々は野外ミサの行われる予定であった信愛の森に登って昼食をされました。

大東教会では12月22日(日)に、河内キリシタンのクリスマスを彷彿させる「クリスマスフェスタ」が企画されています。