コロナ禍の状態が四年目に入り、ウクライナでの戦争は一年が過ぎ、トルコでの地震で沢山の方が被災されました。
悲しいニュースが遠く離れたものであったとしても、日常の生活を送っている私たち、また子どもたちの心にも大きな影を落としています。
こうして私たちは人が永遠に生きられることがないことを、見せつけられています。
哲学者梅原猛は青年時代、第二次世界大戦中、人生が短いものであると覚悟していた。
そして死を見つめる実存哲学を深めたが、やがてその考えに不満を感じる。
(実存主義には)「二羽の小鳥が、寒い夜に、互いに羽を寄せて、暖めあうような、そんな心がたりないのである。二羽の小鳥が羽を寄せ合って寝るその一瞬に、しばし、死のことを忘れてもどうしてそれが悪いのか、その哲学は、人をあまり冷たい目で見すぎている。」(梅原猛著『学問のすすめ』)
そこから彼は「闇のパトス」という論文を書き、死の哲学から解放され、不安や絶望に変えて笑いを根源的な人間の感情と考え、研究を始めます。
死の哲学といえばアルフォンス・デーケン神父は有名です。
しかし彼の死の哲学は梅原猛が攻撃したものとはずいぶん違います。
アルフォンス・デーケン神父はこの世の悩みや苦しみを直視したうえで、それを乗り越えるためにユーモアを勧めます。
ユーモアとは「にもかかわらず」の精神です。
自分の弱さも笑って受け止めることができるとき、自分を縛っていたものから自らを解放する。
解放された人は、この世を愛し、自分自身を愛することができる。
ユーモアは努力で手に入れるものではなく、神と隣人から与えられるもののようです。
私は最近、アキレス腱を断裂し、不幸を直視することになりましたが、周りの人たちの温かい小さな言葉に支えられて生きていることを実感しています。
人間はいつか死んでしまうけれど、小さくとも温め合う姿を通して、神に似せて造られた人の本来の姿、愛を創造することばと行いの素晴らしさを味わっています。