聖年 梅﨑隆一神父

聖年の理解は、レビ記に書かれているヨベルの年(レビ記25:25ー54)が起源です。

レビ記25:1-7には7年に一度農耕をせずに土地を休ませ(安息の年)、それを七回繰り返し、50年に一度ヨベルの年として祝ったとあります。

ヨベルの年には、先祖代々の土地が無償で返却され、同朋の奴隷が解放されました。

『新カトリック事典』によると、やがてキリスト信徒によって始められた巡礼の習慣が広がり、100年ごとに大赦免の年であるとの考えが一般化します。

ボニファティウス八世は、100年ごとに全ての罪がゆるされる霊的な年としての聖年を構想し、1300年大勅書をもって祝うことを定めました。

その後、期間は短くなっていき、1470年パウルス二世の頃になると25年ごとに祝うことになりまた。

これが通常聖年となりました。

1500年アレクサンデル六世によって今日に至る聖年に関する基本的な儀式が定められました。

聖年に与えられる免償とは、初代教会では、洗礼が決定的な罪のゆるしであり、洗礼後の罪には重たい償いが課せられました。

しかし罪を犯した人だけの償いでは足りず、教会共同体の力添えが必要だと考えたことから始まります。

6-10世紀に個人のゆるしの秘跡が発達すると、罪に対する償いのリストが作成され、その償いを他者が引き受けることができることとなりました。

11世紀には十字軍に参加することで免償をもらえることとなり、12世紀には煉獄にいる霊魂にも免償が有効とされるようになります。

やがて教会関係の建物を建てるための資金集めに免罪符が発行され、免償はお金で買えるようになります。

これがルターによる教会改革のきっかけになります。

こうして免償はあの世で与えられる罰を免れるための方法と捉えられるようになりました。

現代ではゆるしの秘跡を裁判として考えるのではなく、洗礼の秘跡の後、神から離れてしまった自分がもう一度、罪がゆるされ神に立ち戻るための秘跡として理解しています。

神のいのちから離れるなら、生きていても死んだ者となってしまいます。

ですから免償はキリストの体である信徒の関わり(聖徒の交わり)そのものと考えられています。

教会は秘跡であり、目に見えない神の恵みを目に見える「しるし」、耳で聞こえる「ことば」を使って世界に神を示さなければなりません。

世界が抱えている問題によって人々が分裂し死を感じさせる現代、教会共同体の交わりという免償は、世界が抱えている罪の償いのために使われるものなのではないでしょうか