心を尽くして主に信頼せよ、
自分の知識にたよってはならない。
すべての道で主を認めよ、
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
箴言3章5―6節
『聖書 口語訳』
私は母がプロテスタントのクリスチャンであったため、キリスト教が常に生活の中にある環境で育ちました。
そしてそこには常にどんな困難も、生活苦もすべてを受け入れて祈る母の姿がありました。
先の聖書の言葉は母の聖書の表紙裏に書かれていた言葉です。
幼い頃から罪のないキリストが十字架にかかって死んでくださったのは、この私の罪のためであることは聞かされていました。
この頃の私は神様を素直に受け入れ、いつも神様がそばにいてくださることが自然なことでした。
中学を卒業すると同時に名古屋にある美容院にお世話になり、美容師の勉強を始めましたが、それは修行の一言でした。
厳しい修行の中で、感謝することや神様のみことばに耳を傾けることをせず、神様の存在を忘れて、自分中心な生活を送るようになっていきました。
そのような時も母は家族の救いのために、また、遠く離れた私のためにも祈り続けてくれました。
仕事が忙しく、とても長く教会を離れていました。
それでも誰かに宗教はと問われると何の抵抗もなくキリスト教と答えていました。
これまでの歩みの中で、困難な出来事がたくさんありました。
大きな病も経験しました。
今振り返ると、神様によって試練を乗り越えるための知恵や力が与えられ、守られ、神様のご計画の内に導かれてきたということが80歳を前にしてようやくわかり、すべての不安から解放されました。
私はこれまで神様からどれだけ多くの赦しと恵みをいただいてきたことでしょうか。感謝につきません。
入門講座の学びを通して、洗礼へと導かれたことを感謝いたします。
代母を引き受けてくださいましたNさんは、かつて私の美容室のお客様でした。
クリスマスにはカードを送ってくださり、ミサやバザーへのお誘いなどその時々にカトリック枚方教会へと導いてくださいました。
Nさんに出会わせてくださったことも洗礼に至る神様のお計らいであったと、ただただ感謝で一杯です。
神様は私が自らの力で生きようとするのではなく、神様の愛に応える生き方を示してくださいました。
神様はいつでもどこにいても私と共にいてくださり、どのような困難に出会っても歩むべき道を備えてくださいます。
これからも神様に信頼し、祈りつつ感謝して歩んでいきたいと思います。