2月6日(土)玉造のカテドラルで一つの催しが行われる筈だった。
コロナで中止になったが、「ユスト高山右近列聖祈願のつどい」だ。
主催は大阪教区で、教区列聖推進委員会(委員長春名神父)と「右近と歩む会」が協力、前田大司教司式の列聖祈願ミサ、塩見弘子さんの講演その他充実のプログラブが予定されていた。
「右近クラブ」の活躍右近列福運動の頃は「右近クラブ」という信徒の集まりがあって活発な活動を行っていた。
2015年2月3日に神戸文化ホールで行われた「神のしもべユスト高山右近帰天400年記念ミサ」の準備運営には大きく携わり、また2017年2月7日の列福式においても準備運営に大きな役割を果たした。
右近の列聖推進列福式が済むと熱意が急速にしぼみ、「右近クラブ」の会員数も急減。列福に続いて列聖が目標にあるのだが、担当の大阪教区としては教区組織として列聖推進委員会を持ったものの、意識の向上はなかなか進まなかった。
「右近クラブ」も目的が列聖に代わったことから名称を変更することになった。
「右近と歩む会」に発展列聖運動は先ず「右近の霊性に学ぶ」ということからはじめよういうことで「右近と歩む会」になった。
有志による任意組織であったこの会は、2000年4月に前田大司教から教区公認団体に指定され、活動の幅が大きく広がった。
現代に生きる右近の霊性右近の霊性については多く語られるが、端的に言えば現代にも共感を呼ぶ「誠実と賢明」であろう。
戦国の世での右近の信仰は、価値観の混乱する現代での信仰の在り方に大きな示唆を与える。
今右近の霊性に学ぶということは、イエスに従う規範を見出すことである。
「右近と歩む会」が右近の霊性に学ぶことを大切にしたのは、右近列聖のための第一歩として極めて適切な判断であった。
茶道と「にじり口」右近は、日本文化とキリスト教の調和を図り、茶道を重んじ茶室を祈りの場とした。
茶室の入り口は「にじり口」で狭い。狭き門から入れというイエスの教えの実践の場である。
この「にじり口」の発想の原点が、枚方鍵屋の舟入口であったと「茶道四祖伝書」に記されているということを、古巣薫神父の講演で知った。
右近の霊性が枚方と関係があったのだ。この舟入口は現在も保存されている。
右近とクラレチアン右近列福列聖に熱意を持たれていた田口大司教(当時)が、右近が活躍した高槻に記念聖堂の建設を計画され、クラレチアン会に協力を要請された。
クラレチアン会はそれに応えて建設を進め、昭和37年聖堂が完成、フランケサ神父が司牧に当たられた。そして日本司教団は高山右近列福手続きを開始した。
高槻教会聖堂の前庭には、クラレチアン会の当時の総長エシュパイヘル神父から贈られた右近像がある(写真)。
右近列福運動を支援するために贈られたという。枚方やクラレチアンの教会も右近と関係が深い気がしてならない。(K記)